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ニーチェ『私は人間ではない。私はダイナマイトだ。…私は宗教的な人と接触したあとでは手を洗わずにはすませない。』

名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!

ふむ…。

運営者

考察

宗教について悩んだ人間なら、誰しもがわかることではないだろうか。ニーチェはニヒリズムだ。ニヒリズムは、『この世には虚無しかない』と考える人間。例えばニーチェが言っているのはこうだ。

『論理は完全な虚構の見本である。現実の中には論理などは存在せず、現実はまったく別の複雑極まりないものである。我々は実際の出来事を思考においていわば簡略化装置で濾過するように、この虚構を図式化することによって記号化し、論理的プロセスとして伝達および認識可能なものとする。』

 

 

この世には『論理』すら存在しない。それは単なる人為的なものであり、真実の形ではないというのだ。私はそこはニーチェとは違うが、一部は同じ考え方だ。そして、共感するのは宗教に対する問題だ。私は両親からクリスチャンになることを強要されて育った。

 

だから、宗教をやっている人間がどういう人間かがよくわかっていて、彼らの視野が狭いということを、身をもって知っている。私も『ダイナマイト』だった。というか今もだが、今は『安全装置』が付いた。理性であり、自制心であり、克己心であり、そして『本当の信仰』だ。

 

聖書における『ヘブライ人の手紙』には『父が子供を叱るとき』について、こう書いてある。

『神が自分の聖性を子に与えようとしているのだ』

 

つまり人間には『聖性と魔性』の両面がある。

 

 

その内、父が子を叱った場所には『愛(聖性)』が宿り、『魔が刺した』人間には『罪(魔性)』が宿っていることになる。だとしたら、見えて来るのは『聖性を優位にし、魔性を劣位にする』ということで、そこにあるのは、魔性と聖性の真剣勝負である。更に言えば、昨今一部の狂信者が世界を騒がせているが、 イスラム教における『ジ・ハード(聖戦)』とは、何も人を惨殺することを許可する、という凶悪な概念ではない。

 

『神の為に奮闘する』ことを意味し、つまり、その『神』というものは、しばしば『愛、真理』と『=』であると考えられるわけで、例えば、『人に裏切られ、殺意を覚えた』というとき、そこに現れるのは間違いなく『魔性の疼き』であるわけだが、しかし、それを聖性の力で劣位にさせよう、という『闘い』こそが、この『ジ・ハード(聖戦)』なのである。

 

つまり、仏教だろうがイスラム教だろうがキリスト教だろうが何だろうが、その信仰の根幹にあるべきなのは、『克己心』だ。それさえ理解し、自分のものとしているのであれば、そこにあるのは『真の信仰』であり、凡人によって歪曲された歪んだ宗教は、必要ない。

 

ブッダも、

ブッダ

 

と言っているわけで、本当に重要なのは『宗教』という人為的なものではない。

 

 

 

MEMO

※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。

 

 

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