偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
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考察
短絡的に考えれば、アリストテレスは『嘘つき』だ。いくら賢者と言えども、性欲食欲睡眠欲を満たすこともあれば、お喋り団欒リラックスに時間を使うことはあるはずである。下記の図は、ある日のハーバードビジネスレビューに掲載された図だが、人間が幸福を覚えるイベントが一目でわかるようになっている。これらをすることは『快楽』だ。
幸福と快楽は、ほぼ等しい。脳内の話で言えば、『ドーパミン、セロトニン』といった類の、報酬系物質が放出されている状態が、人間が『幸福だ』と思う状態であり、それは『快楽』とほぼ等しいのである。この様に、短絡的に考えれば、アリストテレスは嘘つきだ。しかし、それは短絡的である。こういうわけではないということだ。それらのイベントは、賢者も間違いなく行うだろう。行わなければ、例えば食事を摂らなければ、死んでしまうのだから。つまり、厳密に言うとこういう解釈が正しい。
『苦痛の生まれる欲望の解放の仕方はしない』
食事を『暴食』してしまったらどうだ。性欲を『暴走』させてしまったらどうだ。睡眠欲に『支配』され、大事な仕事に寝坊してしまったらどうだ。そこに残るのは『快楽』ではない。『刹那の快楽』の為に人生を棒に振った人間はいくらでもいる。そういう人間が『賢者ではない』ことはすぐにわかるはずだ。だとしたら、その対極にいる自制心のある人間こそ、賢者となるのである。
キリストの言う、
『罪』の定義は、『罪』であると言う。どういうことかというと、『罪』という言葉を紐解くと、ヘブライ語の『的を外す』という言葉に辿り着くようになっていて、例えば、キリスト教で言えば7つの大罪に、
- 傲慢
- 強欲
- 暴食
- 色欲
- 嫉妬
- 怠惰
- 憤怒
とあるわけだが、これらは全て『欲望の持っていきかたを間違えた』。つまり『欲望の的を外した』ということで、それすなわち罪深いと定めるのである。欲望なら、誰にでもある。快楽、幸福を覚えることだって、誰にでもある。しかし、その欲望の持っていき方を間違えた人間は、破滅するようになっているのである。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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