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ソクラテス『父母に恩を感じないなら、汝の友となる者はいないだろう』

古代ギリシャ哲学者 ソクラテス画像

内省

”友”の定義の問題だ。父母をないがしろにしたままにすることを黙認する人間は、 ”友”ではない。 ”友”に値しないのだ。 ”友”ならそれを黙認しない。見てみぬふりをしないのだ。相手に悔いを残してほしくないからだ。

 

では捻じ曲がった例で考えてみよう。中にはそういう事例もある。虐待を繰り返したり、犯罪を繰り返したり、子供を売春させたり、子供の育児を放棄したりする、『腐りきった父母』をないがしろにするよう説得する人間は、 ”友”に値しないのだろうか。

 

いや、それなら値する。というより逆に、そういう『腐りきった人間』なら、たとえ肉親でも、それは”父母”ではない。 ”父母”に値しないのである。つまり、 ”父母”に恩を感じない友人を黙認する人間は、 ”友”ではない。 ”友”ならば、”父母”に感謝が出来ない友人に対し、熱く、優しく、そして根気よくそれを説くはずだからである。全ては相手に、悔いを残してほしくないからだ。そして、相手がいつか後悔するときに、 ”友”として当時何かできなかったかどうかと、悔いたくないからだ。

 

自分は友人にとって本当に”友”であるか。自分は子供にとって本当に”親”であるか。自問するべきである。

 

 

注意

※これらの言葉は参考文献『これならわかるソクラテスの言葉』や史実に基づき、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。

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『本当の友人とは。』

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