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ウソップ『おれは親父が海賊である事を誇りに思ってる!!!』

かつての私は、仲間との絆を、過大評価していたのだろうか。10代のほとんどを連れ添った、悪友たちとの話だ。彼らが裏で、自分の立場が優位になるか不利になるかという場面で、迷わず自分が有利になる選択を取っていることが、信じられなかった。ある友人の母親は言った。

『あんたのやってることは尊い。でも、あんたがそうすることで、他の友人が巻き添えになることを考えたら、自分の行動を考え直さなければならないんだ』

 

自分の子供の事を第一に考えるのが普通の母親だ。もちろん、半信半疑でその話を聴いたが、私は真剣に葛藤していた。そして、目の前の友の母が、かつての恩師たちよりも模範になる人間だとは、思う事は無かった。我々は、『不良交友とつるんではいけない』という課題を課されていたのだ。そして友人たちは、口をそろえて『つるんでいない』と言った。だが、私だけが、『つるんでいるし、これからもつるみ続ける』と言ったのだ。

 

だから私以外の友人は、短い時間で、自由になった。『不良交友との交友を辞め、健全な人生を送っている』と、評価されたのだ。だが、実際はつるんでいた。その”真実”を、私たった一人が、ねじ曲げることが無かったのだ。それについて、友の母は、私にそう口をはさんだのだ。では、たった一人不利な状況を覚悟し、”真実”を歪曲しなかった私と、自分達の利益を優先させて、”真実”を歪曲させた彼らとでは、どちらが”正しい”のだろうか。

 

ある見解では、こういうのもあるだろう。彼らが、”賢い”。私は、”格好いい”。人が、自分の利益を守るのは当然だ。自分を守れなければ、家族も守れない。それはとても、”賢い”選択だ。だが中には、こういう人もいるのではないだろうか。

『お、おれには、家族がいるんだ!!娘が生まれたばかりなんだよぉおお!!た、たすけてくれ!な!た、頼む!金ならいくらでも払うから!』

 

…こういう姿は、たとえ自分が助かる為に取った賢い選択だとしても、あまり”格好いい”とは言えない。キリストだろうがマザー・テレサだろうが、他の為に私利私欲を捨て、自己犠牲を選択することが人間、何よりも難しい。この儚い運命に生まれ、皆、それを少しでも有意義な人生にしようと、躍起になっている。その中で、”有意義な人生”を突き詰めた人間にしか辿り着けない境地がその選択だ。それをやってのけるのは、実にカリスマ的で、”格好いい”ということだ。

 

だが、今回のテーマは、どちらが”正しい”かということだ。友人たちと、私。そもそも上に挙げた、”賢い”、”格好いい”という概念など、あてにならない。表現の自由である。私は、全身にタトゥーをして、緑のモヒカンにしたピアスだらけのヘビメタな人間を、 “格好いい”とは思わないが、彼らの美学を、否定する事もない。それに、彼ら友人があの時取った選択が、もし本当に”賢い”ものだったとしたら、彼らは今、私よりも賢く、有意義な人生を送っているはずだ。だが、彼らの中で一番出世しているのは、一体誰だろうか。

 

『おれは親父が海賊である事を誇りに思ってる!!!勇敢な海の戦士である事を誇りに思ってる!!!お前の言う通りおれはホラ吹きだがな!!おれが海賊の血を引いているその誇りだけは!!偽るわけにはいかねぇんだ!!!おれは海賊の息子だ!!!』

 

私は5年前、10年連れ添った彼ら友人との別れ際に、こういう文章を送った。

byジャン・パウル

 

私は、自分のやっている行動が、たとえ常識破りでも、 “損”をしていると思われても、自分が間違っているとは思わない。その断固とした自信の根底にあるのは、私にしかわからない、私がくぐりぬけた人生の修羅場で出会った、幾多もの、確信的な人生の感動である。10年経った今でも、その課題を課した最高位にいた女性と話した内容を、私は忘れない。

『この不良交友って、別に、今までつるんできたあの友人たちってことじゃないですよね?一緒になって、不良行為をする交友の事を、不良交友って言うんですよね?だったら別に、彼らと急に、縁を切る必要なんてないですよね。自分がこういう課題を課せられて、それを守らないと自分が不利になるからといって、今まで”仲間”だと言ってきた人間を、ハイおさらばと、縁を切るような人間には、俺は成り下がらない。彼らとおさらばするんじゃなくて、彼らと交友を続け、一緒になって不良行為をしないように仕向け、有意義な交友関係に変える事が出来たら、これからも彼らと交友を続けても、いいってことですよね?』

 

私のその質問が、珍しいものだったということは、彼女の表情を見ればわかった。おそらく、そういう課題を突き付ける時、ほとんどの少年は、事務的に、あるいはふてくされ、表層的に納得し、そそくさと部屋を出て、外で愚痴を言うというのが相場なのだろう。彼女は私の目をマジマジと見て、言った。

『…そうだね。それが出来れば、それが最善だね。』

 

隣にいた母親は、意味を理解していなかった。母親は母として、私がただただ健全な人生を送ることを願うだけだから、その為に悪友たちとの関係を絶てというのであれば、当然それを受け入れるべきだと考える母親だからだ。だが、私には、彼女のその言葉の背景にある規範意識が、どれだけ法律(ルール)と人間の心の絶妙な境界線の上にあるものかということが、手に取るように理解った。そして、事実、私は確かに一番不利な状況に陥ったし、こうも偉そうに言っておきながら、たくさん失敗もしたし、道も踏み外した。だが、私が人生の岐路で取ってきた、人生の規範意識を求められる幾多もの選択肢を、私は後悔していない。

 

人間はこの儚い人生を、どう生きて、どう死ねばいいのだろうか。”賢く”?”カッコよく”?私はその疑問を抱いている人に、迷わず、力強く、こう断言したい。

 

『──悔いのない人生を。』

 

 

Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV

※画像は以下の参考文献から引用しています。

 

一言

この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。