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ハンコック『──では何をすれば結婚になるのじゃ!』

『結婚』とは、『社会的に承認され、終生にわたる永続的で一定な共同体を創設することを目的とする契約』と、定義づけられている。だがそれは、『社会』や『法律』などが存在してからの話。それに合わせただけ。形式的な話だ。そもそも、『社会』や『法律』を創った、『人間』自体が恒久的に未熟なのだから、 “結婚”の定義自体、確信的なものではない。

 

では、それらができるよりももっと前、というか、本当の人間の、男女としての”結婚”とは、一体どういうものなのだろうか。『社会的に承認される』ことが、得てして『終生にわたる永続的な結婚生活』の確約につながることとは無関係だという事は、昨今、相次いで聞こえてくる”早すぎる離婚話”や、少し前まではgoogleで『旦那』と打ち込むと『旦那 殺し方』等の関連ワードが出てきたことを見れば、一目瞭然。つまり、今の結婚制度の概念自体の信頼性など、たかが知れているのだ。”その儀式”さえ通過してしまえば、永遠の幸せが約束されるという話は、おとぎ話である。

 

こういう話がある。

今からおよそ350年前、明暦元年(1655年)に、幕府が公布した『江戸市中法度』によれば、不倫は男女同罪とされ、夫は、密通した間男をその場で殺してもよいと定められていた。じっさい、妻を寝取られた武士が現場を押さえた場合は、即座にその不倫相手を斬り殺すことも許されていたのだ。さらに、寛保2年(1742年)の『公家方御定書』でも、不倫した妻と相手の間男は死罪とされた。男は裸馬に乗せられて市中を引き回しのうえ、斬首した首を刑場で三日間さらす獄門。女は斬首の刑に処されることになった。当時の川柳にも「枯れ木の枝と間男は登りかけたら命がけ」と詠まれている。

 

さて、それだけ重い厳罰を持ってしても”結婚”の約束が破られるのなら、私の言うように、”儀式”など、形式的なものにすぎず、男女の間には本当に重要なものではない、という考え方も、あながち間違いだとは断言できないだろう。

 

『じゃからのう蛇姫や抱きつかれたからと言うてそれを”結婚”とは言わんニョじゃ!』

『──では何をすれば結婚になるのじゃ!』

 

結婚の制度ができてから数百年。以来、出来上がった、『結婚=人生のゴール』という図式。その形式的な”儀式”のことばかりに目がくらみ、やれ『ウエディングドレス』だの、『適齢期』だのと、本来重きを置くべき重点が、ズレてきてしまっているのかもしれない。本来、『この人だ 』と決めたら、命が尽きるまでその人のことしか見ないような人間同士でなければ、そもそも”結婚”する資格は、ないのではないだろうか。二人の愛が本物なら、そこには、『形式(儀式、洋服)』も、『年齢(適齢期)』も、関係ないのかもしれない。

 

 

Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV

※画像は以下の参考文献から引用しています。

 

一言

この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。