私が起業する時、心底から腑に落ちた言葉がある。それは、
『チャンスは待っていても来ない。チャンスは、自分で掴むものだ。』
という真理である。小学校あたりからよく耳にしたし、その言葉の意味はわかった”つもり”でいた。だが、何もわかっていなかったのだ。言葉の意味は、深い。特に私もよく引き合いに出す 『格言』とは、たったの1,2行に、その偉大な人物の人生が集約されている様で、あまりに深遠で、知性が詰まっている。人や物事を表面で判断している人には、今、彼の名前を出しても説得力がないかもしれないが、まだ島田紳助が現役の時、こう言っていた。
『正直、東大、京大で教えている様な先生はテレビにはいらない。我々が求めているのは二流、三流の生徒を相手にするような先生だ。なぜなら、一流の生徒なら『これをやっておけ』と指示した時、『それ』をやることはもちろん、『それ以上』のことをやってくる。たったの一言、そう言っただけで、理解するからだ。だが、二流、三流はその指示だけでは理解しない。だから、それを教える先生は、もう一言、二言付け加え、理解を促す。だから、とてもわかりやすく説明してくれる。正直、我々テレビの演者なんて、馬鹿ばっかりだ。テレビを見ている人だって、そんなに真剣に観ている人は少ない。皆、娯楽感覚だ。だから、そういう先生が好ましいのだ。』
それらを考えた時、もう一度この言葉の意味を、考えてみる。
『チャンスは待っていても来ない。チャンスは、自分で掴むものだ。』
するともしかしたら、この言葉の指し示す意味に対する姿勢の主体性が、前よりも引き上げられているかもしれない。
『命ナメんじゃないよ!!!一度は死ぬと決まった運命に逆らう事がどれほどのことかヴァナタわかってんの!!?』
『ヴァターシは神や仏じゃないんだよ”奇跡の人”!?ヴァナタ達がヴァターシを何と呼ぼうと勝手だけど…『他人にすがりついてるだけのバカを救えたことはない…貧困に倒れそうな国も闘い敗れ死にそうな国も…ヴァターシはそいつらの生きる”気力”に問いかけただけ』
『奇跡は諦めない奴の頭上にしか降りて来ない!!”奇跡”ナメんじゃないよォ!!』
例え”奇跡的”な現象が起きても、それを含めた自分の人生はいつでも、自分で決めて、創りだしているという事実に、気づく勇気を持つべきなのだ。