Contents|目次

『哲学』を最速で理解する。『結局どういうこと?』

『哲学』が誕生した理由と今まで考えられてきた大体が分かる!記事一覧(時系列順)

 

上記の記事に『世界の哲学』についてまとめましたが、この記事ではそれらの内容を簡潔にまとめ、要点だけをピックアップしています。『結局どういうこと?』という点だけを急いで知りたいという方におすすめです。

全36記事

いくつか質問があるんだけど、

  1. 哲学はいつ生まれたの?
  2. 最初の哲学者は誰?

1.紀元前600年頃ギリシャで生まれました。『哲学』という日本語は、日本人の『西周(にしあまね)』が作りました。

2.古代ギリシャのタレスです。

 

神話→宗教→哲学』の順番で世に生まれました。神話はおよそ7000年前、宗教はおよそ4500年前、そして哲学はおよそ2600年前に生まれました。当時のギリシャ神話の神々は『人格神』かつ『多神教』でした。つまり、『人の形をした神がたくさんいた』わけです。するとそのうちギリシャ人たちは『神を何よりも優先する』考え方に疑問を覚え、『それに似た人間のことだってもっと知るべきだ』という考え方に至るようになりました。

 

人間は考える。これはまさに知恵だ。この知恵を愛するのが人だ。

 

愛=Philio。知恵=Sophia。それを足すと『Phillosophie(フィロソフィー)』、つまり『哲学』となる。こうして哲学は古代ギリシャで生まれたのです。ギリシャ神話の内容が大きく関係していたわけですね。そして初めて哲学をしたのは『タレス』という人物で、その後、人間についての哲学を始めたのが『ソクラテス』という人物でした。また、『哲学』というこの日本語は、日本人の『西周(にしあまね)』が『希哲学』と訳し、その後『哲学』だけとなっていきました。

 

いくつか質問があるんだけど、

  1. 形而上学って何?
  2. 倫理学って何?
  3. 政治哲学って何?
  4. 科学哲学って何?
  5. 論理学って何?

1.『目に見えないもの』の研究です。

2.道徳など、倫理に関する研究です。

3.『国家の在り方』や『自由や平等について』を考える研究です。

4.科学者の哲学で、実際にそれを証明してどうしたいか、という発想がそれです。

5.様々な方法で考えてみる研究です。

 

哲学にも主要なテーマがあり、それがその5つです。[形而上学、倫理学、政治哲学、科学哲学、論理学]が主に哲学者の間で考えられてきたメインテーマでした。しかし、哲学というのは多岐にわたります。例えば科学哲学の、

 

俺は、この研究で世界をより良いものにしたいんだ!

 

という科学者の発想は確かに科学哲学ですが、これは『科学者が科学で何かをしたいと思う』からこそ『科学哲学』となったわけです。しかし、

 

俺は、世界をより良いものにしたいんだ!

 

と、科学とは関係ない分野で生きる人が思うこの発想も『哲学』となります。ということで、哲学というのは『結果的に状態を今よりも良いものにしたい』と思うすべての人の考え方だと言えますね。ただ考えているだけに見える人も、そこには『何らかの答えを探している』事実があるわけで、そうなるとその人にとってそれは『今よりも一歩進んだ境地にいる自分』を求める思索なわけですからね。

 

いくつか質問があるんだけど、

  1. タレスは何をした人?
  2. ピタゴラスは何をした人?

1.万物の本質を『水』だと考えました。

2.物事の根幹に『法則』のような秩序があると考えました。

 

万物を『神』が作ったのではないと考え『哲学』が始まりました。ギリシャ神話の延長線上で生まれた哲学は『神』から離れることがテーマです。しかし、神がこの世を作ったのではないなら、何が万物を作っているのか。世界初の哲学者タレスから始まった哲学は、それを解明するところから始まりました。そして万物の本質を『』だと考えました。ただ、タレスの弟子のアナクシマンドロスはそれを否定し『無限のもの』と言い、更にその弟子のアナクシメネスは、『空気』がその本質だと言いました。

 

彼らがこうして答えを模索している中、数学者でもあったピタゴラスが登場します。彼は、『直角三角形をなす3辺の内、2辺の長さを知ることができれば、残りの1辺の長さを知ることができる』という『ピタゴラスの定理』を発見し、

 

なぜこういう風に、秩序が存在するんだろう…

 

と考えます。これはとても不思議なことです。ピタゴラスは、この秩序こそ変化する現象の背後に潜む不変の本質だと主張し、タレスたちが探し求めていた答えの一つを、提示したのです。とにかくタレスから始まった哲学で、様々な賢人たちを通して徐々に真理(答え)に近づいていくわけですね。彼らは『初期哲学』の哲学者たちです。

 

いくつか質問があるんだけど、

  1. ヘラクレイトスは何をした人?
  2. パルメニデスは何をした人?
  3. アナクサゴラスは何をした人?
  4. デモクリトスは何をした人?
  5. ゼノンは何をした人?

1.『万物は流転する』と主張した人で、最初に『哲学者』と名乗った人でもあります。

2.『万物不変』だと言って、ヘラクレイトスの意見に対抗した人です。

3.『種子論』を主張した人で、物体は限りなく分割されうると考えた人です。

4.『原子論』を主張した人で、ヘラクレイトスとパルメニデスの意見は両方存在する、という一つの考えを提示した人です。

5.『ゼノンのパラドックス(アキレスと亀)』で師匠ヘラクレイトスの『万物流転』を否定しようとした人です。

 

ここで言う『万物』と彼らの思索の理由については、下記の記事を見ると意味が分かります。タレスから始まった哲学ですが、『神の仕業でないなら何なのか』というテーマを、こうして様々な哲学者たちが考え尽くしたわけですね。そして『ああでもない、こうでもない』と議論を交わし、切磋琢磨し、より正確な答えを磨き上げていったということです。

 

いくつか質問があるんだけど、

  1. ソクラテスは何をした人?
  2. なぜソクラテスは『最初の哲学者』じゃないのに有名なの?

1.初めて『人間』についての哲学をした人です。

2.ソクラテス以前の初期哲学者(タレス等)が『手探りで模索した』のに対し、ソクラテスは『世の人に大きな影響を与えた』からです。

 

孔子、ソクラテス、ブッダ、キリスト。ドイツの哲学者カール・ヤスパースは、『偉大な哲学者たち』の第一巻をこの四人にあてており、彼らを『人間の基準を与えた人々』とみなしています。これを見るだけで、ソクラテスが世に、人に与えた影響がどれだけ大きいかということがよくわかります。

 

当時、ソクラテスのいたアテネには『ソフィスト』という詭弁とも屁理屈とも言えるような話術や論理を持つ人々が目立っていました。つまり、アテネの人々の考え方は乱れていたのです。そこに、そういう状況を改善しようという動きを見せる人物が現れた。それがソクラテスだったのです。彼はそこに蔓延した常識(腐敗)を叩き割り、より良い考え方を主張しました。

 

ただ、そのソフィストの中にはプロタゴラスという人物がいて、彼は『人間は万物の尺度』だと言いました。彼の相対的な考え方は、それまで宇宙に向かっていた人間の目を、人間自身に向ける決定打となり、外に向けていた目を、内に向け始めるきっかけとなりました。ソクラテスの考え方は、ソフィストだったプロタゴラスの考え方も影響しているでしょう。

 

プラトンは何をした人?

師であるソクラテスの説いた『真理』について、独自の形で答えを出してまとめた人です。

 

ソクラテスの説いた『真理』を、プラトンは『イデア』と呼びました。ソクラテスは『この世には真理がある』と言い、最期までそれに忠誠を誓う姿勢を貫きました。彼を尊敬していたプラトンは、師が忠誠を誓ったその『真理』の実態の解明に力を注ぎました。そして『イデア』という言葉を使ってそれを表現しました。日本人じゃないからそういう言葉を使っただけです。そこに気を取られる必要はありません。例えば花を見たときに、

 

枯れていて綺麗じゃないな

 

と思ったなら、そこには『どんな姿かたちが奇麗なのか』という美しさの『基準(モデル)』や『大元』があるということです。プラトンの言うイデアとは、その『大元』のことです。これを善悪に当てはめて考えると、『人がどうやって生きるべきか』という道筋が見えてきます。イデアという基準に従って生きているか、それとも逸れて人を騙したり、攻撃したりして、粗末な生き方をしてしまっているか。イデアは、『人がどうやって生きるべきか』ということを応援してくれる道しるべとなるのです。こと『生き方』で考えるなら、『理想の生き方、生き方のモデル』のようなものがイデアですね。

 

プラトンは、師であるソクラテスが徹底して追求した『無知の知』を土台にして、その上で、このイデアにたどり着くように説いたのです。無知の知がない人が言うイデアは、歪んでいる可能性が高いですからね。このあたりは、ソクラテスの記事と合わせて読むことで理解が深まります。

 

アリストテレスは何をした人?

師であるプラトンの説いた『イデア』を、更に独自の考え方でまとめた人です。

 

プラトンとアリストテレスは、ソクラテスが作った哲学の基盤の上に、確固たる大黒柱を建てました。この3人が古代ギリシャ哲学を作り上げたと言っても過言ではありません。ソクラテスの死後、弟子のプラトンが彼の説いた『真理』を『イデア』という形で独自解釈してまとめ、プラトンの弟子であるアリストテレスは、イデアを『不動の動者』という形でまとめました。妙な言葉がたくさん出てきますが、例えば長さには単位がありますよね。

 

km→m→cm→mm。

 

このように、より細かい長さの単位があり『いや、これはmmとしてまとめられるよ!』などとして、より細かく物事を取り決めていくわけです。それと同じで、彼ら哲学者も、この世の中の色々なことを、様々な言葉や考え方を使ってまとめようとしたのです。

 

『不動の動者』とは『もうこれ以上分割できないもの』であり、自ら変化したり動いたりせず、逆に事物を変化・運動させる存在のこと。これは『真理』や『法則』とほぼ同義語ですね。更に細かいことは下記にまとめました。

 

またアリストテレスは『中庸(ちゅうよう)』という概念を主張したことでも有名です。意味はほどほどに、ということ。過剰過ぎず、足りなすぎず。中庸がいいんだ、ということですね。アリストテレス以後、論理学の数えきれない研究が図書館を埋めていますが、それらはアリストテレスの論理学に注釈をつけているだけ。彼を超える論理的発想をする人間は、まだ現れていないのです。つまり、彼が堀った深さが、半端ではないということですね。

 

アリストテレスの後の哲学はどうなった?

アテネがアレクサンドロスに支配され、更にローマ帝国に飲み込まれたときに哲学にも多様性が見られるようになりました。

 

アレクサンドロスの影響で『ヘレニズム文化』というものが世界に広がりました。ギリシア文化とオリエント文化が融合したこのヘレニズム文化は、アレクサンドロスの帝国とその後継王朝へ根付き、その後古代ローマに強い影響を及ぼします。これは『人間がすべての中心で、神を自分に近い存在とする』文化で、この影響で作ってはいけなかったはずの『仏像』が作られたりして、世界の形が大きく変わっていきます。そしてソクラテスが作った古代ギリシャ哲学の流れも、このヘレニズム時代から更に多様性が見られるようになりました。アリストテレスの後、

 

  1. 犬儒学派
  2. エピクロス派
  3. ストア学派

 

等の様々な哲学の考え方に分かれ、それぞれが『禁欲主義』をしてみたりして、独自の哲学を追求しました。欲望があると知恵を求める足かせとなるからですね。『ストイック』という言葉も、このストア派の考え方が語源です。

 

いくつか質問があるんだけど、

  1. ソクラテスは何をした人?
  2. ソクラテスはなぜ死刑になったの?

1.『無知の知』を説き、人々により知性を高めてもらおうとした人です。

2.自分の信念と真理への忠誠心が強く、民衆に媚を売らなかったことが原因です。

 

ソクラテスは『無知であることを知っている人』が知的であると考えました。しかし多くの人はそうは思わず、思い上がっています。特に知識人や権力者を自称する人がそうです。ソクラテスはそういう人にも臆することなく意見をしていき、どれだけ自分が無知であるかを悟ってもらおうとします。それによって彼が自分の無知に気づけば、前よりも彼は人として賢く、知的になるからです。

 

しかし、人というものは往々にして愚かな生き物です。ある時、そうした行為を斜に構えて捉えたアニュトス、メレトス、リュコンは、彼を訴え、裁判で死刑を求刑するよう画策しました。しかしソクラテスはその裁判で一切自分の自己弁護をせず、むしろ当然のごとく無罪を主張しました。もしソクラテスがこの裁判で『彼らの機嫌をうかがっていた』なら、もしかしたらソクラテスはここで死ぬことはなかった。しかし、ソクラテスはそれをしなかったのです。

 

ソクラテスは最期まで真理に忠誠を誓い、死後の世界を『悪いところ』だと決めつけることさえしませんでした。死後の世界は誰も知らないはずです。それなのにそれを勝手に『悪いところ』だと決めつけて慌てふためき、間違っている人に媚を売ってでも生き永らえようとするのは『無知』そのものだったからです。

 

暗黒時代(中世)にはどんな哲学があった?

教父哲学、スコラ哲学等がありました。

 

中世はキリスト教が力を持ち、哲学が封印された時代でした。教父とは、キリスト教を他教から守るという意味。教父哲学は、初期のキリスト教時代、うまくまとまっていなかったキリスト教の内容をまとめ、基盤を作るのに徹します。スコラ哲学もキリスト教を体系的に研究しました。つまり、中世の哲学というのはキリスト教と分けて考えることはなく、哲学の中心にはキリスト教があったのです。

 

ローマ帝国滅亡後(480年頃~)の諸国はキリスト教がまとめるのですが、哲学者(グノーシス派)と信仰者(テルトゥリアヌス派)で意見が対立してしまいます。アウグスティヌスがそれを調整するのですが、その時の発想がキリスト教の悪しき部分を助長させてしまい、キリスト教が権力を持ち、越権的かつ排他的になってしまいます。とにかくこの暗黒時代(中世)はキリスト教が力を持ち、哲学は『暗黒』に封印されたということです。

 

 

トマス・アクィナスは何をした人?

権力を持ちすぎたキリスト教に委縮してしまっていた哲学や神学にカツを入れ、それぞれの調和に努めた人です。

 

キリスト教が支配した中世の1000年間では哲学はほとんど発展しませんでした。この時代、そんなキリスト教に文句を言うことはある種の覚悟が必要で、文句を言った者、教会の権威に背いた者は、『宗教裁判所』で処刑されてしまったのです。そういう圧力の中、哲学や神学は委縮してしまっていました。これがこの時代が『暗黒時代』と言われる理由の一つです。

 

そこに現れたのがトマス・アクィナスです。彼はアリストテレスの哲学を軸にしながら神学と哲学を分け、ぬるま湯に浸かっていた神学にカツを入れ、それぞれの調和に努めた。アクィナスがいた時代は階級制度が蔓延していたので、当時の人々にアリストテレスの哲学は受け入れやすかったのです。

 

しかし、古代ギリシャの時代と照らし合わせて考えればすぐにわかりますが、ほとんど哲学の発展がないのです。それほどまでにキリスト教が支配した1000年だったということですね。

 

ルネサンス時代にはどういう哲学があったの?

『人文主義の王』と言われたエラスムスがしたような『人間中心』の思想を織り交ぜた哲学が登場しました。

 

中世ヨーロッパの1000年間の暗黒時代というのは、すべては神の為にあった1000年間でした。しかし、600年頃からイスラム教が登場し、1095年にはエルサレムを奪回しようとキリスト教が『十字軍の遠征』を始めます。しかし十字軍はイスラム軍に敗北。そしてキリスト教の権威が衰退していきます。『神の国⇒人の国』へと移り変わっていくようになり、『ルネサンス時代』へ突入します。

 

ルター等の面々が腐敗したカトリックに対し『宗教改革』を起こしますが、エラスムスこそ、腐敗し、権威と威厳を失ったキリスト教を『本当の姿』に戻そうとして奮闘した人物でした。エラスムスは『神中心の考えにどっぷりと依存した人間』の思想に、『人間中心』の思想を織り交ぜ、新たな概念を生み出します。イスラム勢力の台頭や、『地球平面説』が覆されたり、何かと神の存在が危うくなっていた時代背景もあって、そうしたエラスムスの考えも浸透しやすかったのかもしれません。

 

いくつか質問があるんだけど、

  1. モンテーニュは何をした人?
  2. マキャベリは何をした人?

1.『唯一確かなものは、不確かなことである』という考え方をし、この世に確固たるものはないと考えました。

2.君主(王や皇帝)や国家はどうあるべきか、民衆をどう扱うべきかということについて厳しい目線で見て主張しました。

 

マキャベリは、『君主論』という本を出します。彼が生きた時代(1469年 – 1527年)は、ちょうどルネサンス時代でした。彼の場合、その本で特に君主や国家がどうあるべきかということについて考えました。『大衆心理』や心構えの低い民衆たちは確かにいて、むしろそういう人の割合が社会のほとんどを占めている実際があります。それは現在においても通用する話です。マキャベリはこのあたりの事実をよく理解していて、そんな社会の中で君主や国家は同立ち振る舞い、どうあるべきかということについて主張しました。

 

モンテーニュが生きた時代(1533年 – 1592年)はルネサンス時代の終わりかけ、そしてスペイン・ポルトガルの『大航海時代』幕開けの時でした。この大航海は人間の考え方に大きな影響を与えました。例えば、マゼランが世界一周を初めて達成したとき、『地球平面説』は覆されました。つまり、『地球は球体だった』と判明したわけです。そうした様々な『思想の革命』が起きたこの時代は、モンテーニュに大きな影響を与えました。

 

『唯一確かなものは、不確かなことである』という考え方をし、この世に確固たるものはないと考えました。モンテーニュはソクラテスと同じように、『自分の考え方が正しい(絶対だ)』と思い込む人を『無知』だと考えました。この世にあるのは多様性であり、しかもいつそれが覆るかもわからないのに、『それ』に依存するのはいささか知的ではない。そう考えたわけですね。

 

いくつか質問があるんだけど、

  1. コロンブスは何をした人?
  2. コペルニクスは何をした人?
  3. マゼランは何をした人?
  4. ガリレオは何をした人?

1.バーソロミュー・ディアスという人に続き、スペインから大きく航海した人です。

2.太陽が地球の周りを回っているのではなく、『地球が太陽の周りを回っている』と主張した人です。

3.初めて世界一周をした一行のリーダーです。

4.コペルニクスの説を強く支持した人です。

 

彼らが生きた『大航海時代』は、世界を繋げた時代でした。それまで、『船や何かで海を渡って違う島に行く』ということをした人はいませんでした。ですから、まだまだこの時は地球が『平面』だと思っていたり、『地球の周りを太陽が回っている』、あるいは『地球が宇宙の真ん中である』という間違った考え方が蔓延していました。そこで、スペイン・ポルトガル人が先頭を切って船で海に出て、『一周出来たら地球が丸い証拠だ』という考え方を打ち出します。

 

  1. バーソロミュー・ディアス
  2. コロンブス
  3. マゼラン

 

という順番で航海を先に進めて、ついにマゼランの時には世界一周を成功させます。更に彼ら冒険者たちとは違う角度で、コペルニクス、ガリレオといった人物が『地球が球体であり、太陽の周りを地球が回っている』という事実を本格的に主張し始めます。これはあまりにも大きな出来事です。今までの考え方がすべて覆されたからです。このようなショッキングな出来事が、この時代を生きた哲学者たちにも大きな影響を与えます。

 

デカルトは何をした人?

『確かなもの』が次々と崩れていった時代にあって、『本当に確かなもの』を求めた人です。

 

彼が生きたのは『想像を絶する事実』が次々と判明した時代です。コロンブスやマゼランが海を渡って未知の島へたどり着き、ついには世界一周をしてみせ、『地球が球体である』ことを証明。そして、コペルニクスやガリレオたちが『太陽の周りを地球が回っている』という『地動説』を主張し、とてつもなく長い間続いていたキリスト教の『天動説』という教えが覆され、

 

一体、何を信じればいいんだろう?

 

と誰もが思ったのです。ですから、この時代を生きた哲学者たちはみんな懐疑的になり、疑い、例えばモンテーニュなどは『唯一確かなものは、不確かなことである』という考え方をし、この世に確固たるものはないと考えました。しかしデカルトは、

 

こうして疑っているという事実は、確かだ。つまり、私が存在しなければこの『疑い』もない。

 

と考え、『考える(思う)=自分が存在することの証明』という発想をしました。そしてこういう名言を言います。

 

いくつか質問があるんだけど、

  1. スピノザは何をした人?
  2. ライプニッツは何をした人?

1.彼の前に生きたデカルトの主張した哲学を更新し、微調整した人です。

2.デカルトやスピノザの考え方を更に更新した人です。

 

デカルト、スピノザ、ライプニッツは、17世紀における指折りの合理主義哲学者です。デカルトは『心身二元論』を主張して、『心と体は別の存在である』という解釈をしました。それをスピノザが『体と心は一つだ』と主張し、『この世の万物すべてに神が宿っている』という『汎神論(はんしんろん)』という考えを打ち出しました。彼は、『体と心は神の中で一つに合わさる』として、デカルトの心身二元論に対抗し、『心身並行論』を主張します。

 

ライプニッツはデカルトの『心身二元論』とスピノザの『心身並行論』を科学的に分析し、『真理が2つある』という解釈をしました。モナドという概念を取り入れ、デカルトやスピノザの考え方を更に更新したわけのです。スピノザやライプニッツがデカルトの考えを軸にしながら考えていたことを見てもわかるように、それだけデカルトの考えが画期的だったということですね。

 

いくつか質問があるんだけど、

  1. ジョン・ロックは何をした人?
  2. ジョージ・バークリーは何をした人?
  3. デイヴィッド・ヒュームは何をした人?

1.『国家と民衆』のより良い関係性を考えた人です。

2.『あると感じるものだけがある』と解釈した人です。

3.因果関係の客観性を否定した人です。普通、うずくまっている子供がいた場合『助けを求めて困っている』と考えるが、それが事実とは限らないということ。

 

彼らは『英国経験論の三大哲学者』です。ジョン・ロックは先に出ていたトマス・ホッブズの『国家に服従することで国がまとまる』という考え方に疑問を覚え、民衆がただひたすら国家に服従することに首をかしげました。そして、万が一国家が越権行為をすれば、その服従を拒み、『抵抗権』、『革命権』によってその権利を行使することができると主張しました。

 

バークリーはジョン・ロックよりも徹底した経験論者で、かつクリスチャンでした。それ故、その考え方の延長線上には『神の存在の肯定』があったので、偏りがありました。キリスト教とそこで教える『神』の存在を守るために、この世の不思議な現象を、『神のなせる業だ』と主張したのです。

 

ヒュームは因果関係の客観性を否定しました。目に見えているものを先入観や固定観念によって勝手に決めつけてはならないということですね。彼らの考え方がこの後『ヨーロッパの最も偉大な哲学者の一人』と言われる、イマヌエル・カントを代表とするドイツ哲学の発展に影響を与えることになります。

 

イマヌエル・カントは何をした人?

『哲学』というハッキリしたカテゴリーを確立させ、その分野で大きく活躍した人です。

 

『哲学』自体は紀元前600年頃の古代ギリシャから存在していました。しかし彼の生きた1700年代には、

 

  • 合理論
  • 独断論
  • 経験論
  • 懐疑論

 

といった様々な哲学の考え方が乱立していて、

 

  • 科学
  • 神学
  • 哲学

 

の境界線もハッキリしていませんでした。カントはまずその境界線をハッキリさせ、『哲学』というカテゴリーを確立させます。彼が主張した『アプリオリ』という概念は、『経験よりも先にあるもの』です。例えば、『火は触る前から熱い』ですよね。そこにあるのがアプリオリです。

 

またカントは『無意識に善い行いをしようとする』人間の理念、理想を『道徳律』と呼びました。この道徳律は、アプリオリ(先天)的に、人間の理性の内に備わっているのだと主張。そしてこの『道徳律』にしたがって自律することで人は真の自由を得られると考えました。カントは道徳を強く重んじ、道徳律にこそ人間の尊厳があると考えたのです。

 

あらゆる哲学者は『真理(神)』に目を向け、その実態の解明に勤しみました。しかし、人が違うから『それ』に対する解釈も人それぞれです。とりわけカントは、その『解釈』が見事であり、『哲学』を確立させたという意味でも、『ヨーロッパの最も偉大な哲学者の一人』の名にふさわしい人物なのです。

 

ルソーは何をした人?

人間がもっと平等であるべきだと主張した人です。

 

トマス・ホッブズ、ジョン・ロックが主張した『社会契約論』をルソーが更に更新しました。トマス・ホッブズが民衆を国家に服従させるシステム『社会契約論』を主張。その後ジョン・ロックは、民衆に『抵抗権』、『革命権』があるべきだと主張。そしてルソーが階級、財産、身分の人工的な鎖をすべて打ち壊すように主張。民衆は最初『服従』しか選択肢がありませんでしたが、徐々に民衆の自由や権利を重要視するような動きが見られます。

 

なぜこのように『民衆寄り』の思想に発展していったかというと、この時代は革命がそこら中で行われいて、ルソーの国フランスでは『フランス革命』で国王であるルイ16世やその妻のマリー・アントワネットがギロチンで処刑される等、あまりにもショッキングなことが起きました。

 

人はどう在るべきか?

国はどう在るべきか?

 

という疑問を持つことは当然で、かつ権力者の越権行為が『正義ではない』という認識が高まっていたのです。そのように『真理、正義』、そして時代背景という2つの要素が軸になり、より多くの人が妥当な人生を生きられるよう、答えを模索したのです。

 

いくつか質問があるんだけど、

  1. トマス・ペインは何をした人?
  2. エドマンド・バークは何をした人?

1.『国家の最も重要な任務は人権の保障だ』とという自由主義思想をして、アメリカの基礎を作った人です。

2.『立つべき者が人の上に立っている』として、伝統や階級を正当化した人です。

 

トマス・ペインは『自由』、エドマンド・バークは『保守』を意識しました。当時、イギリスだけじゃなくヨーロッパ中の権力者が腐敗している現実があり、その腐敗ぶりといったら例えば、『権力者の子供は、親の学位まで受け継ぐことができる』という、あまりにも馬鹿馬鹿しいものでした。そうした事態を受けトマス・ペインは、『国家の最も重要な任務は人権の保障だ』と考えます。このような自由主義思想が軸となり、アメリカの基礎が作られていきました。イギリス出身の彼ですが、アメリカ大陸の『アメリカ合衆国』の独立に貢献し、『アメリカの哲学者』となりました。

 

エドマンド・バークは彼とは違い『保守』を意識しました。彼もアメリカの独立には貢献しますが、トマス・ペインと違って『フランス革命』は否定します。彼は保守主義だからといって、ただひたすら何もしないというわけではありませんでした。『伝統を守りながら保守にとどまらず、常に改善を怠らない』考え方を重んじ、イギリスの議会政治に大きな影響を与えました。

 

 

ウィリアム・ゴドウィンは何をした人?

『政府などなくていい』と考えた人です。

 

ウィリアム・ゴドウィンは無政府主義の先駆者です。ゴドウィンは、政府の存在によって人間の潜在能力が埋没するリスクを危惧しました。政府が用意した『法』は理性で理解できるので、人間の持つ『理性』よりも格下になります。だとしたら、『法<理性』ということになります。すると、政府というのは別に存在しなくてもよくなります。人々がその『法よりも崇高な理性』によって行動すれば、法は必要ないからです。彼は『政府なき世界』を求め、『みんなが自律的に動く共同体で法も官僚主義も必要ない社会』を目指したのです。

 

カール・マルクスは何をした人?

産業が発展して階級の格差が目立つようになったので、その格差を無くそうとした人です。

 

1750年あたりからイギリスで『産業革命』が起こり、人はより多くお金を稼ぐことができるようになりました。それ自体はいいのですが、お金を稼ぐことができる人は一部に限ってしまいます。社長的立場で仕事を与える人、社員的立場で仕事をする人。当然、前者がお金持ちになり、後者との格差が広がっていきます。マルクスは、『社会主義社会』という『格差がない平等な社会』が来るはずだと予想し、お金持ちだけが優遇される『資本主義社会』を批判しました。

 

いくつか質問があるんだけど、

  1. プルードンは何をした人?
  2. レーニンは何をした人?

1.権力者を憎んだ人です。格差がなく、政府もなく、平等な社会を望みましたが、『暴力』を正当化しました。

2.史上初の社会主義国家であるソビエト連邦の初代指導者を務めた人物です。

 

マルクスの考え方はとても強烈でした。そしてこの考え方を実際に実行に移して実験した『ソ連』は、成功すれば世界に誇る理想の国家となったかもしれませんが、それを実現するのは難しく、スムーズにはいきませんでした。『マルクス哲学=社会主義の主張』、『プルードン哲学=暴力革命を辞さない』。ソ連の初代指導者を務めたレーニンは、マルクスとプルードンの考え方を採用して国を作ろうとしました。そしてその思想は同じソ連の政治家、かつマルクス主義の思想家スターリンに受け継がれますが、70年かけて実験した結果、『失敗』してしまったのが現実です。ソ連はスターリンが死去した後徐々に力を失い、1991年に崩壊しました。

 

いくつか質問があるんだけど、

  1. ヘーゲルは何をした人?
  2. ショーペン・ハウエル(ショーペンハウアー)は何をした人?

1.人は時間をかけ『より良い方向』へ向かっていき、最終的にたどり着くのは究極の精神だと主張した人です。

2.ヘーゲルを否定し、『究極的にたどり着く精神がある』のではなく、『むしろ意志を捨てること』が答えだと説いた人です。

 

彼らの意見は対立しています。意見、意志、思想を磨き上げていって、最終的に『大人の考え方』よりも更に上の境地である『絶対精神』を手に入れるはずだと主張したヘーゲル。仏教的な要素を取り入れて、『そうでなく、むしろ欲望にまみれた意志(執着)を捨てることが大事』だと主張したショーペン・ハウヘル。ヘーゲルの考え方は今は間違いだとわかりますが、当時はそうではなく、マルクスなどは本気でこれを信じました。そしてそれが『ソ連、レーニン、スターリン』に受け継がれ、アメリカに匹敵する大国ロシアへとつながっていったのです。

 

そう考えると、ヘーゲルの考え方は一部は正しいと言えます。つまり、『絶対精神』にまではいかないが、人は成長を追い求めれば行けるところまでは行けるということです。ヘーゲルの思想は人間に『成長』を促し、ショーペン・ハウエルの思想は『無我の境地』を教えますから、どちらかというと勢力を上げられる考え方はヘーゲル、そして人として内的な成長ができるのがショーペン・ハウエルの考え方だと言えるでしょう。

 

ソ連は、ヘーゲルの考え方に依存してしまったので、勢力を上げることには成功しましたが、その代償としてショーペン・ハウエルの説いたような『尊厳』を軽んじてしまい、多くの敵を作り、崩壊してしまったと言えます。

 

キルケゴールは何をした人?

理性を超えた信仰を持つことが大事だと主張した人です。

 

『思弁が終わる。まさにそのときに信仰が始まる。』キルケゴールそう言いました。そして、『信仰とは、有限のものを諦めることだ。それこそが神の前に立つ唯一の道なのだ』とも言いました。そして信仰に至る最後の段階として『無限の諦め』をあげています。家族、地位、名誉、財産。人間は有限なものに囲まれて生きていますが、その有限のものに執着し、依存するのは信仰心の妨げとなります。それらに依存しなければ、それらを失っても、自分は神のそばにいて、絶望に陥ることはない。それが彼の考える真の信仰なのです。

 

ニーチェは何をした人?

『唯一無二の命を主体的に、悔いなく生きよう』と主張した人です。

 

ニーチェは人が何かに頼り『主体性』を失って弱体化することを危惧しました。特に彼が意識したのはキリスト教です。彼もかつてはクリスチャンでしたが、それは家庭と環境の影響です。そのうちキリスト教にある『ある種の腐敗』に気付きました。まず一つが、そもそもこの『キリスト教』というものができた理由です。

 

自分の上に裕福な人や権力者がいて、自分たちにはこの人間関係、主従関係をどうすることもできない。だが、その人たちの上に、神がいると考えれば救いが見出せる。神がいれば必ずこの不公平な世の中を、公正に判断してくれるからだ。

 

 

そういうルサンチマン(弱者の強者への嫉み)たる感情からこの世にキリスト教が生まれ、イエスを『主』として崇めるようになりキリスト教が生まれた。しかし自分以外の人間を『主』にするということは、つまり『主体性』を失うことを意味し、だからこそ人は弱体化してしまったのだと考えました。そして、たった一度の自分の人生を真正面から受け入れ、もっと有意義に、自由に、悔いなく生きようと主張したのです。

 

ハイデッガーは何をした人?

死を直視して受け入れれば、有限の人生を理解し、人生を有意義に使うようになれると主張した人です。

 

死を恐れると『その他大勢の一人』に成り下がるし、実力も出し切ることができません。この世界では多くの人が生きていて、その人々にも生きる夢や目標、目的や野心がありますから、その人たちとある種の『競争』をどこかで強いられることになります。そんなとき、もし自分に主体性がなければ、あるいはその人の部下や使いっ走りに『成り下がる』ということがあるかもしれません。ハイデッガーは、『死を受け入れて初めて、人は人生を主体的に生きることができる』と言い、人々の人生がより有意義なものになるように応援しました。

 

サルトルは何をした人?

『人は社会と自分の成長から目をそらさず、かつ自由に生きるべきだ』と主張した人です。

 

人間は『どう生きるか』を定められていません。この時点で人間には『自由』があります。しかし、自由に生きると言っても、例えば自分の家庭内に何らかの問題を抱えていた場合、それを『見てみぬふり』をして生きることは『自由』とは言えません。『現実逃避』に近い。サルトルはその家庭内にある何らかの問題を見てみぬふりするのではなく、逃げずに関わるべきだと言います。そこでたとえどういう結論が出たとしても、そこには『逃げずに自分の環境に立ち向かった』という自負が残り、様々な選択肢から自分が本当に納得がいくものを選んだ結果そうなったことなので、悔いが残りません。

 

サルトルは同時に『人は生きている限り成長すべきだ』と言いますが、それを実現させるためにも、自分の環境にある問題を見てみぬふりせず、それに立ち向かうことは避けて通れません。自分に与えられた環境から逃げずに真の自由を得る。サルトルはそれが人のあるべき姿だと考えたのです。

 

いくつか質問があるんだけど、

  1. ベンサムは何をした人?
  2. ジョン・スチュアート・ミルは何をした人?

1.『功利主義』という効用と利益を最も重視する考え方を主張した人です。

2.ベンサムのその哲学を完成させた人です。

 

『全体の幸福のために何人かの幸福を制限する』のが功利主義の基本です。これは全体的に考えるととても合理的な考え方です。例えばサッカーやなんかのスポーツで、『よく得点を決める子』と『全く活躍しない子』がいた場合、多くの監督は全者をスタメンに入れて試合に出し、得点を決めやすいポジションに決めます。そして後者は最悪試合には出られません。そういう時に考えられているのもこの『功利主義』です。その采配によって結果的に試合で得点を決め、試合に勝てば、『試合に勝つ』というスポーツの世界において成り立つことになります。もちろん、『活躍しない子を切る』という部分に問題点がありますが、一つ、このような考え方があるということですね。

 

いくつか質問があるんだけど、

  1. ラッセルは何をした人?
  2. ジョン・デューイは何をした人?

1.真理を探究してもいつまでも答えは出てこないので、もっと現実に目を向けなければならないと主張した人です。

2.理想ではなく現実を見て、主体性が埋没しないようにしようと主張した人です。

 

彼らは哲学はもっと実用的でなければならないと考えました。当時の哲学は、『いくら話をしても答えが出ないこと』ばかりに目を向けていたため、ラッセルやデューイはそう考えたのです。デューイは学生に『暗記的学習』ではなく『能動的学習』を求めました。つまりそこにあるのは『主体性』の有無です。ラッセルもデューイも、人はもっと現実に目を向け、主体性を持ち、妙な妄想を抱くことの弊害を訴えました。

 

 

ラッセルがこう言ったように、当時あったのは『第一次世界大戦』や『第二次世界大戦』といった世界規模の戦争です。そしてその理由は『愛国心』という名の妄想。現実に目を向け、本当に冷静な人が戦争を起こすことはないのです。

 

 

フッサールは何をした人?

『色眼鏡を外さないと真理は見えない』と主張した人です。

 

先入観があるとそれが邪魔をして真実が見えません。常識や先入観に流されず、冷静な視点で対象物を見なければならないわけです。では、その対象物が『結局何であるか』ということを認識するためにはどうすればいいか。それはこの場合、『多くの人がなんと言っているか』という事実と照らし合わせながら決めるわけです。意見はそれぞれの確信に基づくものだから、確信の合致がすなわち『認識』ということになります。もちろん、その人たちの確信すべてが間違っていることもあります。だからここで言われているのは『認識』であって『真実』とは言っていないのです。真実を見極めることはそれだけ難しいということですね。

 

ヴィトゲンシュタインは何をした人?

『言語で表現できない世界の方が限りなく貴重だ』と主張した人です。

 

彼が『哲学の殺人者』と呼ばれた理由は、伝統的な哲学を否定したからです。彼は哲学で『真理、神』がどうであるとか何とか言い合っても、それは単なる『言語ゲーム』に過ぎないと言いました。そしてその言語というものは、どれだけ物の本質を言い当てているか。信憑性がないわけです。人間が作り出した言語は信憑性がない。彼は『言語で表現できない世界の方が限りなく貴重だ』と言い、人の言葉に着目すれば真理に辿り着く『…わけがない』と主張したのです。

 

フロイトは何をした人?

『無意識の世界』があるということを主張し、『リビドー(性衝動)』を軸にして色々と主張した人です。

 

フロイトが『無意識の世界がある』と言ったことは大きなことでした。例えば、『精神病者は罪人ではなく、治療を受けるべき病人』とわかったのは1800年くらいからです。それを主張したPh.ピネルやこのフロイトのような精神分析学者たちの存在によって、精神病者は『悪魔に憑りつかれた人』でも『罪人』でもなく、治療で治すべき人だということがわかったのです。彼らの無意識の世界にある何らかの問題を解決することで、人の精神病は治るのだと主張しました。

 

彼が言う『リビドー』というのは『性衝動』のことですが、フロイトはこのように人間の深層心理には自分の理性でどうにもできない『潜在意識』というものがあると主張したのです。フロイトは、人々が皆そうした『意識』を上手くコントロールすることができるようになれば世界の秩序は保たれると考えました。少なくとも、その潜在意識を理解することが大事だということですね。

 

ポスト・モダニズム哲学って何?

近代哲学から抜け出そうとする動きです。『現代哲学』のことです。

 

POST(~から去る)MODERN(近代)

 

人間の理性を信じる啓蒙の時代『近代』は、デカルト以降にヨーロッパを支配した哲学です。ニーチェフロイトを筆頭に、そのあたりから『ポスト・モダニズム』の種が蒔かれ、ハイデッガー等そのあとに続く様々な哲学者が徐々にそれまであった近代哲学を崩して(解体して)いきました。『MODERN』というのは『新しい、近代的な、古い思想、封建思想から抜け出る』という意味なのですが、ポスト・モダニズムは『そこ(近代哲学)から更に抜け出て新しい哲学を作ろうという動きです。それが『現代哲学』です。

 

  • 近代哲学→現代哲学

 

奴隷が当たり前だった時代、身分差別があった時代、意見が言えなかった時代、そのような不平等な社会を脱し、人間は新しい境地(近代社会)に入ったと考えたのですが、『第一次世界大戦』、『第二次世界大戦』を含め世界中で見るも無残な戦争が起き、人々の思想に大きな影響を与えました。

 

人間にはさらに新しい哲学(考え方)が必要だ!

 

と様々な人たちが考えたのです。

 

いくつか質問があるんだけど、

  1. ミシェル・フーコーは何をした人?
  2. ジャック・デリダは何をした人?

二人とも『ポスト・モダニズム』の時代として過去の哲学を否定した人です。

 

ポスト・モダニズム』の記事と合わせて読むと理解が早くなります。まず時代的に戦争等が起こって多くの人々の思想に大きな影響を与えました。そこで、その記事で書いた人、あるいは今回出てくるフーコーやデリダといった人物たちが中心となり、『新しい哲学(現代哲学)』を考えるようになりました。

 

フーコーは、『逆らうと処刑する!』と言われていた近代までの時代と比べ、自由になったのはいいが、今度は『この常識に従わないと生き残れないぞ!』という脅しを受け、『規格化された人々』が増えてしまったことを懸念しました。つまり、主体性がなくなってしまったと言ったのです。デリダは昔の哲学が『上下関係がある』と言って、そこに当然のようにあった『差別』の感覚が古いと指摘しました。

 

このようにしてポスト・モダニズムの哲学は行われたわけですが、『現代哲学』は『過去の否定』だけして、『未来をどうするべきか』と主張していません。哲学はまだまだ発展途上にあるのです。

 

ユルゲン・ハーバーマスは何をした人?

理性とコミュニケーションが大事だと主張した人です。

 

理性があるからこそ、健全で平等な社会が構築できる。『ポスト・モダニズム』の流れにあってそう言ったのがハーバーマスです。それゆえ、彼は近代の理念を継承する哲学者として『最後の偉大な合理主義者』と言われています。『理性など役に立たない』と言われたのがポスト・モダニズムですからね。人に理性があり、『言語能力』と『コミュニケーション能力』さえあれば、討論をしても間違った方向に逸れずに、その結果が良い方向に流れるし、様々な社会の意見、つまり多様性の中で相互理解と意思疎通ができると考えたのです。

 

哲学は紀元前600年頃古代ギリシャのタレスから始まり、2600年の歴史があります。『神話→宗教→哲学→義務教育』と人はその思想を固めてきましたが、それでも『戦争』を引き起こしてしまったり、人は過ちを犯してばかりいます。哲学は人間世界にどれだけ貢献するツールになるか。そういうことが今後の哲学者の議題になるでしょう。

 

 

 

まず、神話が『自由な発想』で創られました。そして秩序を作るために宗教が誕生し、それに逆らう形で哲学が誕生しました。このような背景を押さえておくと、より全体の理解が容易になります。

 

キリストの言葉

 

ということで、『神話、宗教、哲学』のすべてを併せて読んだ方が理解度が上がるわけですね!

『神話』が誕生したすべてが分かる!記事一覧(時系列順)

これで世界の『宗教』の大体が分かる!記事一覧(時系列順)

『哲学』が誕生した理由と今まで考えられてきた大体が分かる!記事一覧(時系列順)

 

 

人間の歴史

『人間の歴史』を700万年前の猿人時代からまとめた年表もあります。より時系列の確認に興味がある方はご覧ください。映画や漫画の舞台となった時代なども記載されているので、おそらくWeb上にあるものでは日本一細かい年表だと言えます。(たぶん)

【上巻】年表で見る人類の歴史と映画・漫画・小説一覧[宇宙誕生~1900年編]