考察
だから別れをマイナスに捉える必要はない。むしろマイナスに捉えてしまうのは間違いである。別れることがなければ、めぐり逢うこともできないのだから。それに別れは必ず来る。それをマイナスに考えるのは、人生を否定することに繋がる。
そんな自分もいずれは死ぬのだ。それはこの世とのお別れを意味する。しかし、その後に死んだ最愛の人ともう一度逢えるとしたのなら、死ぬこともマイナスではないではないか。そう考えたって、罪はない。
関連リンク:ソクラテス『死を恐れることは、「本当は知者ではないのに、知者であると思い込む」のと同じなのだ。』
また、教育の神と言われた森信三のこの言葉を考えてみる。
その記事で書いた『出遭った人』と『出逢った人』というのは、その関係性の喜ばしさや絆の深さが違うわけだ。
ということは、人間は『出遭ってしまった人』と別れることで『出逢える』。そう考えると、今回の言葉の奥行きがグッと深くなる。
- 新しい恋人
- 本当のよき理解者であるパートナー
- 真の友人
これらの人々に『出逢う』ためには、別れる必要がある。『出遭ってしまった人』と。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
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