偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
運営者
考察
私も随分長い間『友人はいる』と思っていたが、実はいなかった。
傍から見た感想はいつも『皆はいつも仲がいいねえ』だったし、それどころか、『他の地元じゃ見ないよ。ここぐらいだよ。』という話もあったほどだ。
しかし『悪友』なだけだった。まさか、『セフレ、愛人』が『友人』だとは思っていないだろう。それと同じだったのだ。
私が定義する『仲間』の考え方はここに書いた。
ノルウェーの劇作家、イプセンは言った。
友達というものをこうして考えると、実はその存在は極めてハードルが高く、自分にとって、英雄でもありライバルで模範になり、かつ切磋琢磨していける存在だけが、それに該当する。
『心のブレーキの外し方』にはこうある。
あなたがプラスに成長することを、無意識的にでも邪魔してくるような人たちは、そもそも”友達”と呼ぶに値しないのです。
助けてほしいときに見て見ぬフリをしたり、嵌めたり陰謀を企てたり、足を引っ張ったり、自分の人生を充実させるための『アイテム』か何かだと考えている人間には、『友達』はいないのである。
だとしたら、本当の友達など、美輪明宏の言う通りだ。私も今友達はいない。
だが、ニュートンは言う。
だとしたら私の友は、
孔子、
ブッダ、
キリストであり、
世の偉人たちである。
関連リンク:ウソップ『どうしても闘いを避けちゃならねえときがある。仲間の夢を笑われた時だ!』
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
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