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シモーヌ・ヴェイユ『純粋に愛することは、へだたりへの同意である。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

運営者

ふむ…。

考察

『へだたり』というのは、相違である。相違があるということを例えば、『あいつとの隔たりがあって、ちょっと無理なんだ』等と言って、人間関係の溝や距離感を示すことがある。

 

距離感

 

では、話を変える。『恋』は奪うもの、『愛』は与えるものである。ということは、『愛』とは、『恋』よりも『妥協』している。あるいは『容認』していて、『寛容』している。男女など、最初から『凸凹』の図の通りだ。同じ種類でも、形が違うのである。それらを理解して、認めること。それが愛である。

 

トルストイは言った。

 

愛とは与えるものであり、没我である。没我心があれば相手とのへだたりがあっても、うまくやっていくことができる。逆に『突我』であれば違う。『とつが』というのは今私が考えた言葉だが、没我の対義語であるこれは、文字通り『我が突出』してしまっている。そうするとへだたりが更に浮き彫りになり、それが原因となって問題が悪化することになる。

 

どちらかが『没我』的でなければならない。しかし、それを自分だけがやるのは損である。…と考えるような人には『愛』はない。愛は人生に没我を教えるからである。

 

愛

 

 

 

 

MEMO

※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。

 

Check

こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。

 

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