偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
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考察
こと『主体性』というテーマにおいて、この8,000以上の名言を扱うサイトの中においても、これ以上ないくらいと私が思う言葉はこれだ。
このナポレオンの言葉は、非常に力強く、10数年前に出会ってから今に至るまで、私の心底の部分で燦然と輝き続け、今後もまるでその輝きを失いそうもない。しかし、チェーザレ・ロンブローゾがそんなナポレオンを見て、
と言ったのも、うなづける話ではある。例えば『無痛症』の人間を想像したとき、その人物はスネを鋭利な壁の角に思い切りぶつけて流血し、骨が砕けても『痛くない』わけだが、そんな人を見て人が思う感想は、
(狂っている)
あるいは、
(麻痺している)
もしくは、
(機能していない)
といった類のものだろう。それはたとえば、何らかの歯車、そのかみ合わせが狂っている。そういう印象を抱くはずである。ナポレオンにその『状況』を告げた人の方が、むしろ歯車は正常に回っている印象がある。そしてナポレオンは、その状況報告に対し、そう言って見せた。冒頭にも書いたように、私はそれが主体的で大好きだが、しかし、どこか人と違っていて、狂っている印象もあるのだ。この話を、どう捉えるかだ。
アインシュタインは言った。
偏執狂というのは、まさにここで出ていることそのものの意味である。『一つのことに異常に執着する人』という意味だ。見るべきなのは以下の黄金律である。
『一つのことに集中する人間だけが手に入れられる圧倒的な力がある。』
ここに登場する偉人たちは皆、偏執狂の実力のすごさを語っている。この圧倒的な事実を受け、どう判断するかは自分次第だ。しかし、この世には決して逆らうべきではない大きなエネルギーがある。それは、『真理』である。問題は、なぜこの世を生きた多くの偉人たちがこの事実に着目したかだ。それを考えたとき、血沸き肉躍らない人は、あまり躍動していない。この命を、浪費してはならない。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
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