偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
ふむ…。
運営者
考察
『帰せしめる』というのは、うまく立ち回って自分のものにする、とか、そういう意味だから、自分がやった善行を、自分の手柄として振る舞い、それを自分のものにして、誇示主張したり、自己満足して悦に入ることがあるのであれば、そこにあるのは謙遜ではない。ということになる。
確かに、文字にしてそう考えてみれば、そういう人のどこが謙遜な人なのか、ということになるわけだから、その通りだ。自分を『罪深き人間』と認めるわけだから、例えばキリスト教の7つの大罪で考えても、
- 傲慢
- 強欲
- 暴食
- 色欲
- 怠惰
- 嫉妬
- 憤怒
これらの感情に自らを支配されているようでは、そこにいるのは罪深い人間であることを真正面から受け止めた人間ではないわけだ。その逆で、それらの負の感情に自らを支配されまいとする人間こそが、主体的であり、『罪が何であるか』について自覚し、真に謙遜な態度をとることが出来るのである。
MEMO
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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当サイトにある500人の偉人の8000の名言。なぜ「1万」ではないのか──それは、内省が深まるにつれ、「本質を射る言葉」が自然と重なっていったからです。そうして浮かび上がった真理を、私は『38の黄金知』としてまとめました。
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