偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
運営者
考察
『没我(ぼつが)』というのは読んで字の如く、『我のことは後回しで結構。考えなくて結構。』という、高潔な心構えの事である。これの対極にいるのが『エゴイスト』である。彼らの趣味は、『誇示、誇張』である。私利私欲を優先し、損得に理性を支配され、ときに奪う。
ブッダは、
と言って、その『欲への執着』について、警鐘を鳴らしている。2500年も前に鳴らされた鐘の音は普通にしていては聴こえない。だが、耳をすませば聴こえてくる。それが出来るかどうかが、人間の器を決める試金石となるだろう。
トルストイはこうも言う。
愛は与えるものなのだ。奪うものではない。奪うのは恋だ。例えば、ある日のニュースで、こういうものがあった。
元交際相手の女性に、「このままじゃ貴女を殺してしまいそうで怖いんです」などとメールを送り、女性を脅したとして、21歳の大学生の男が逮捕された。
この男性は女性に恋をしていて、好きだったのかもしれない。だが、愛していなかった。だから相手を殺してしまいそうになった。
『愛は人生に没我を教える。それ故に愛は人間を苦しみから救う。』
彼が苦しんでいたのは彼女を愛していなかったからだ。しかし、実際に相手を殺してしまう人間がいる中で、彼は未遂に終わった。だとしたら彼の中に彼女に対する愛の気持ちが、少しはあったということなのかもしれない。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
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