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伊達政宗『朝夕の食事はうまからずともほめて食うべし。』

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ふむ…。

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考察

幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明し、隻眼となったことから後世独眼竜と呼ばれた伊達政宗。織田信長徳川家康豊臣秀吉の三英傑と並んで有名な、日本の武将である。さて、男に生まれた人間として私は、このことについて声を大にして言いたい。

 

その通りだ。

 

私はあるとき、ある言葉をテレビ番組を通して聞いた。私はその言葉を言ったタレントがあまり好きでもないし、かといって嫌いでもない。見栄っ張りの、ちょっと綺麗な近所のおばさん程度にしか見ていなかったことが本音だが、その言葉は的を射ていた。

 

レストランや食堂でご飯を食べたら、お金払うでしょ。家でも同じよ。一所懸命料理を作って、またその日の晩も、そのまた明日の朝も作らなければいけない主婦に対し、『ごちそうさまでした。美味しかったよ。』と言う。それが、主婦にとってのお代金なのよ。

 

まったくその通りだ。一寸の狂いもない意見であった。

 

 

だが今回はあえてこのテーマをさらにこじ開けて内省したい。私なら、『美味くもないのに、美味いと言う』真似は絶対にしない。なぜなら、不味いものを『美味い』と言ってしまうと勘違いし、あるいは永久にその料理が『美味いと思っている』と思い込んで出され続け、そのたびに『美味い』と言わなければならず、しかし本音では『不味い』と思っている夫婦が、良い夫婦だとは思わないからだ。

 

二人が心底で、的を外した意見を持っている。いずれその『種』が原因となって、トラブルを巻き起こすだろう。それよりも、美味い物は『美味い』と大声で断言しておいて、不味い物があれば『不味い』とハッキリ言った方が良い。伊達政宗はあくまでも『円滑にいかせるために』そう言ったのであって、あるいはそのタレントの様に、『そう言ってもらうだけで心は満たされる』わけだが、それは『刹那(その場)』の話である。それが永久に続くと思ったら、また話は変わるのだ。

 

私は今食費を払って親に料理を作ってもらっているが、その親に対し『不味い』と言ったときは、もちろんある種の勇気が必要だった。そして予想通り相手も傷ついた。だが、それが『本音』だったのだ。そして、『だが、あれは美味い』と言った。すると、相手は(人格を否定されているわけではない)ことを知った。あくまでも、料理の話だ。

 

味付けや、火加減、食事の好き嫌いや、アレルギー。これについては、意見しなければいつまで経っても納得のいく形にはならない。

 

食事

 

あれからそろそろ一年になるが、今ではほとんどの料理を美味しく頂けている。つまり私が言いたいのは、確かに伊達政宗やあのタレントの言う様に、刹那的には『それ』で円滑に行く。それに、『美味いと言う、それは主婦にとってのお代だ』という考えも、一寸も狂いはない。だが、もしもっと円滑に行かせるということであれば、衝突を恐れ、あるいは偽善に酔いしれることをやめ、意見した方が何倍も何十倍も良い結果になるのである。

 

母にとって、『我が家のカレー』を子供に楽しんでもらうことは喜びの一つだ。だが、かつての我が家は、(あまり美味くないな)と思っているのに、母が一方的に、

 

やっぱりカレーはよく食べるね

 

などと言って、間違った認識がまかり通っていた。私はこのままではいけないと思った。本当の人間関係を築くためには、意見を言わなければならないことがある。言わなければ確かに波風は立たない。だがそれは『易しい』。誰にでもできる。本来『優しさ』とは、相手も自分も心底から納得する形に持っていくことのできる、人間の優れた、一面である。誤解されることほど辛いことはない。しかし、損な役を買って出ることが出来ない人間に、大した愛はない。

 

 

MEMO
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