『ヒト』を最適化しよう。

高村光太郎『日常の瑣事にいのちあれ 生活のくまぐまに緻密なる光彩あれ。』

名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!

ふむ…。

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考察

瑣事(さじ)(些事)』とは、些細な事という意味。『光彩』とは、きらきらと輝く美しい光という意味だ。

 

芥川龍之介は言った。

 

ここに書いたとおりだ。部分の最適化が、全体の最適化になる。今は圧巻のピラミッドも、 一つ一つの石段の積み重ねで造り上げたのだ。

 

ピラミッド

 

アメリカ合衆国建国の父、ベンジャミン・フランクリンは言う。

 

些事を見下すなかれ。確かな一歩の積み重ねでしか遠くへは行けない。

 

関連リンク:『大したことない。そう思ってないがしろにした全てのことが「大したこと」だったから、あなたの人生は大したことないのでは?』

 

『命は細部にこそ宿る』と言うが、例えば物のクオリティを求めるモノづくりの国、この日本では、細部がぞんざいな作りの物を見ると、気分が悪くなる。電車も1分単位で来るし、サービス業では客に膝をついておしぼりを手渡しする。この日本のサービス精神と本物志向は当たり前ではない。海外では電車が一時間遅れることもあるし、ハワイのマクドナルドで出るハンバーガーは『大味』だ。大きさはあっても繊細な味覚や食感はない。膝をついておしぼりを渡すこともまずあることではない。むしろチップを要求するくらいだ。

 

ハンバーガー

 

しかし、『ではどちらが基準なのか』というと、真理においては日本である。だからこそ日本の製品は海外でもトップクラスに定評がある。それはつまり、世界中の人々が日本人のそうしたサービス精神や追及心を認めているということに他ならない。だが、それを実際に世界基準にできるかというと、そうではないだろう。それを考えるとき、頭に浮かぶのは孔子と韓非子の思想の違いだ。

 

孔子は、

 

孔子

 

一人一人が利他的になり、礼を重んじて徳を積み、仁を得ることが出来れば、この世に法律や刑罰などは必要ないと考えた。儒教の考えは『徳』による支配の為、支配者がしっかりしていれば法律など必要ないと説いている。

 

 

しかし、それに異を唱えたのは韓非子である。人間は孔子の言うような高潔な存在ではない。『利己』に走り、損をすることを回避しようとする。それが人間の本性というものである。従って、法律によって刑罰を整えれば、人はそれを回避しようとして、犯罪を予防できる。法さえ完備していれば、国の秩序は保たれるとして、法の重要性を説いたのだ。

 

韓非子

 

 

孔子の夢見る徳治で秩序が保てたらそれ以上のことはない。しかし世の中はそうではないのだ!荀子の言うように人間の本性は悪だから、これに合わせて現実政治を行わねばならない!

孔子、孟子の言っていることは、古代の人口が少ない時代なら可能だったかもしれん!人口が増え、経済が盛んな時代にはそんなのは絵空事じゃ!

 

と主張したのである。日本人のこうしたクオリティの高さは『孔子思想』だ。だが、実際に世界にはびこっているのは『韓非子思想』だ。細部にまで力を入れ、命を吹き込むだけの熱意が持てない。例えば仕事をしたら昼休憩には昼寝をしにわざわざ家に帰るスペインの『シエスタ』の習慣のように、人それぞれに自分なりの生き方のモデルがあるのだ。

 

だが、銃の携帯を認めたアメリカで銃乱射事件があり、多くの人の命が奪われているように、やっぱり人間には、ある一定の自由や権利を与えると『水を与えられすぎた植物』のようになる。植物は確かに水をやらないと枯れるが、あげすぎても腐るのである。

 

腐る

 

そう考えると、高村光太郎のこの言葉はやはり輝きを発揮する。

 

『日常の瑣事にいのちあれ 生活のくまぐまに緻密なる光彩あれ。』

 

日常の些事にこそ命を懸けるべきである。その一つ一つをぞんざいにすれば確かに楽だが、『楽しい』人生を送るためには、人々が徳を重んじ、利他的になることが避けて通れない。

 

 

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