『ヒト』を最適化しよう。

小林多喜二『困難な情勢になってはじめて誰が敵か、誰が味方顔をしていたか、そして誰が本当の味方だったかわかるものだ。』

名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!

ふむ…。

運営者

考察

この言葉も本当に意味が深い。私も10代の頃にこの言葉に出会い、このことについて実にたくさん考え抜いてきた。表層上では仲が良いように見えて、裏では陰口を言う人間を大勢見て来た。私も何度も嫌な目に遭ってきた。かくいう私のことだって棚には上げていられない。もっとも、このことについて考えるぐらいだから、人よりは気を付けているつもりだが、実際には表裏的になっていたことが多々あっただろう。若い時期というのは=精神が未熟なわけだから、そういうことは起こりやすい。それももちろん要因の一つだが、得てして人間というものは、自分本位で人の顔色ばかり伺って損得に支配される、愚かな生き物なのである。

 

私はよくそれについて葛藤し、頭を悩ませた。私の周りには友人らしき人々はたくさんいたが、誰が自分の親友かを挙げるとなると、それが見当たらなかった。そんな自分にも納得がいかないし、そんな周りにも納得がいかない。しかし、自分の実の家族とはある種の距離を感じていて、友人達をその代わりだと言い聞かせるように付き合いをやめなかった私は、その状況を打破しないまま何年も時を過ごしてしまったのである。

 

友人達

 

それからしばらく経って、『『中国古典』の教え』の『史記』についての一文を読んだ。

『地位が上がったり下がったりすることによって、付き合いの深さが良くわかる』こちらが調子のいい時は放っておいても人は集まるが、落ち目になると、さっと去っていく。遥か昔から今において、変わることのない愚かな習性である。

 

本は続けてこう言う。

『だが、初めからそれが人情だと心得ていれば、人が寄ってきたからといって喜ぶこともないし、去っていったからといって嘆くこともないのである。』

そう考えると、小林多喜二の言う様に、『誰が味方顔をしていたか』ということよりも、人はそもそも自分本位で、かつ表層的な要因に縛られて生きているのであり、そこについて憂うのは、時間の無駄だという新しい見解を持てるようになる。

 

私がかつて葛藤したことも、『大人げなかった』という新境地が見いだせるのだ。10年前の私は、小林多喜二の言葉を『鵜呑み』にして共感していた。しかし、それはただ、私が経験不足だっただけだった。『四聖』に数えられる、孔子ソクラテスブッダキリストや、数々の偉人たちと向き合う中で、(小林多喜二は偉人だが、天下無双の神ではない)ということを知ったのだ。つまりこの言葉も完全ではない。もちろん私も完全ではない。ということは、この言葉に共感した当時の私の感情の在り方は、完全ではなかったのだ。

 

では、完全とはなんだろうか。それは最終的には『全てを許す』という悟りの境地である。それをきちんと理解した上で、かつ、センシティブに過剰反応して悲劇のヒーローを気取らなければ、この言葉は絶大な威力を発揮するだろう。

 

カメラ

 

ある金持ちが死んだ途端に、まるで蜘蛛の子を散らすようにその人間が運営していた会社の取引先や、人間関係がささっと崩れてなくなったことがあった。つまり、彼に群がっていたのはお金目当ての人間ばかりだったのだ。そして、その人物がいなくなったということは、当社の価値が半減することを意味するわけで、それまで金の為に耐えて来た当社の高圧的な態度を我慢する必要もなくなり、さっと散って、新たな金の匂いがする場所を求めて、逃げていったのである。

 

表層的な部分に惹かれて寄って来た人間関係の末路は、そんなものだ。それを理解した上で付き合うのであれば、その表層的な人間関係も全く無駄とは言えないだろう。これを覚えておけば無駄に『憂う』時間を無くすことが出来るどころか、ちょっとした『得』をする方向に事を持っていくことも出来るかもしれない。

 

 

 

MEMO
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