偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
運営者
考察
レオナルド・ダヴィンチは言った。
まず哲学者というものは、目の前にあるリンゴが、なぜ『リンゴ』と言うのかに、首をかしげる。
その回答に納得がいかないのが、哲学者なのである。
リンゴ?…林檎?…いや、アップルだし、マンサナであり、メラでありマサン…それぞれの国で名前が違うわけだが、だとしたらそれは相対的であり、人間が勝手に決めつけた名前ということか…
しかし、もうこの時点でバラバラの名前がついているわけで、だとしたらこれは『リンゴ』ではない…赤い果実だ。いや、それも日本語か…だとしたらなんだ…イブが食べたということなら、禁断の果実だが、これを食べて死ぬわけではないし、むしろ美味しいし…
そもそもこれは、『ある』のか?…いやないなら触れないし見れないし…いや待てよ…酸素は見えないぞ…ダークマターも見えない…しかし『ある』んだよな…
こんな風に考える哲学者は、こと『人間』においても、同じように考えるわけである。
人生…?なんだそれは…どう生きればいいのだ…?どうせ死ぬんだよな…だとしたら何で生きてるんだ?死後はどうなるのか…善いのか、悪いのか、
ソクラテスは言った。『わたしは、善いことかもしれない死を、はじめから、よくわからないのに恐れて逃げることは絶対にしない。』死後にあるのが悪い事であると決めつけるのは、無知の代表的な発想であるわけだが、しかし、むやみに自殺したらいけないという倫理が働いているわけで、しかしそもそもその倫理自体も怪しいか…
一体、どう結論付ければいいのか…偉大な先人たちはどう言っていたのか…どうやら、それを足掛かりにし、自分でも手さぐりしながら、その答えを見つけるしかないようだ。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
🧭『38の黄金律』へ
※『38の黄金律』は、有料コンテンツとしてより深い考察をお届けしています。
🔎 名言の背景にある“思想の源流”を探る
※『黄金律』以外の知的コンテンツのほとんどは無料です。