偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
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考察
ニーチェは言った。
例えば『聖戦』という名のテロリズムだ。彼らは自分たちの行為に確信を持っている。そうでなければ、自らの体内に爆弾を仕込むことは出来ない。しかし、それは正しい行為なのだろうか。『世界がわかる宗教社会学入門』にはこうある。
宗教には、テロリズムのイメージがある。宗教とテロは関係性が強いのか。これはもちろん誤解で、実際はテロリストが宗教を口実にしているだけ。
なるほど。これ一つ考えただけで、ジョン・ロックの言葉の理解はグッと深まる。私も以前はよく、テロリストやマフィアを含めた、この世の闇と光の混沌について、混乱していた。私がよく思い描いて、その善悪の判断について混乱したストーリーは、こういうものだった。ろくでなしの馬鹿な親に捨てられた子供がいて、その子供をたまたま通りかかった大人が拾って育てた。川辺の段ボールに無造作に捨てられた子供を見て彼は、この世に対する怒りと悲しみが、増したのだった。彼はヤクザの若頭だったのだ。
そして彼は組長になった。子は育ち、子は、親の為に命を懸けて戦う戦士となった。自分を捨てた親を見つけ出して殺してやろうと思ったことも何度もある。しかし、今はこの育ての親の為に命を懸けたい。どうせその時、死んでいたかもしれないのだ。この命は、組長の為に使いたい。そう心から願っていた。しかしある日とうとう抗争が巻き起こった。若い兵隊が何人も命を落とした。組長は我が子の様に厳しく育てて来た息子を、いざというその場面で、かくまった。
息子は走馬灯を見た。
(俺はあそこで死んでいたんだ。この人は最後の最後まで、命の恩人だ。俺はこの人の為に死ぬ。)
男性
そう言い残し、あるいは心で呟いた息子は、組長を安心させた後、ダイナマイトを身体中に仕込み、相手の本丸に乗り込んで着火し、太く短い人生を終えた。こんなとき、何が善で、何が悪か?当時の私には、到底結論を出すことは出来なかった。そしてそれは、今も同じだ。一体どうすれば?正しい結論は?しかしジョン・ロックの今回の言葉なら、何一つ否定することなく、受け入れることはできるのだ。
関連リンク:
- マルコムX『私は自衛のための暴力を、暴力とは呼ばない。知性と呼ぶ。』
- ネプチューン国王『我が妻を殺した者を…!!!なぜブチ殺してはならんのか!!!わしには到底わからんのじゃもん!!!!』
- 『愛は差別をしない。というか、「差」など人間が勝手に作った概念だ。』
- 『愛は差別をしない。エピソード.0』
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