偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
運営者
考察
自分の意見が『赤』だとすると、その時の相手の色は『青』だったわけだ。だとしたら例えば、『紫』という新しい色を捻出することを考えたいのである。
ラッセルはこうも言った。
自分の色も、正しい。そして、相手が主張する色も、存在する色なのだ。その『存在する色』というところに着目したい。存在するのに、その存在を否定する、という発想は愚かである。例えば、ここにリンゴがある。
だが、それを見て『いや、認めない』という発想は、まずい。『ある』のに、『ない』と言うことは、違う。最悪の場合、病院に入院する必要がある。同じように、そこに捻出された相手の色は、間違いなく『何らかの理由があって捻出された』わけだから、その道筋を想像し、理解したいのである。
例えばワガママに振る舞う、身勝手で横暴な人間がいたとする。どう考えたって、理不尽なことをするのだ。その場合、彼に『お前が間違っている』と、断固として言うことは、一見すると正しい。しかし、それでは間違いなく、衝突を避けることはできない。
と言われ、最悪の場合、傷害事件に発展するだろう。だとしたらどうすればいいのか。考えたいのは、彼がそうしたパラダイムに至った経緯である。もしかしたら彼は、物心がついたら母親が離婚していなくなっていて、全ての子供が母親から受けるはずの、特別扱い、という愛情を受けておらず、何らかのメーターが枯渇しているのかもしれない。
だとしたら彼は『加害者』ではなく、『被害者』だ。少なくとも、彼の頭の中では、そうなっているのであり、それに対し、同情し、援護するどころか、むしろ追い打ちをかける様に『お前は間違っている』などと頭ごなしに言われれば、
(テメエに何がわかるんだよ!)
という発想が頭をよぎるに違いない。思い浮かぶ『学園モノのドラマ』を思い出してみるといい。そこにはほぼ間違いない確率で『不良少年・少女』、あるいは『問題を抱えた生徒』が出てきて、その存在を、ほとんどの教師が、頭ごなしに否定している。その固く閉ざされた心を解きほぐすのは、いつだって『熱血教師』だ。相手の為に泣き、相手の為に笑うことの出来る、心優しい人間だけが、そもそも、人の意見に口を出す資格があるのである。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
🧭『38の黄金律』へ
※『38の黄金律』は、有料コンテンツとしてより深い考察をお届けしています。
🔎 名言の背景にある“思想の源流”を探る
※『黄金律』以外の知的コンテンツのほとんどは無料です。