仏教の開祖 釈迦(画像)
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内省
大きい責任を負っていればいる人間ほど、朝他の人より30分早く起き、ウォーキング、瞑想、日誌、禅などを通して内省する。試しにPRESIDENT辺りの雑誌を買って、トップ経営者たちのスケジュール特集を読むと良い。自分の内面と向き合う時間を確保しなければ、たちまちのうちに自分の『魔性』に身体を支配され、気づいたら大参事への第一歩を踏み出しているということになりかねない。
自分の責任が重いと自覚している人は、『後始末では遅い』ことを熟知している。つまり『前始末』以外には始末など認められないということを理解しているのだ。何かが起きてからでは遅い。起きる前から前始末として内省し、まずは司令塔である自分自身の『魔性』をチェックする。
強欲や傲慢に傾いていないか。怠惰や憤怒に支配されていないか。それを支配し、『魔性⇒聖性』へ傾けるように、常にメンテナンスをする。公明正大であるか。根底に愛を忘れていないか。憂いを防ぐ備えは万全か。車を車検に出すように、人間もメンテナンスをしなければ、整備不良が原因でたちまち不祥事が巻き起こるだろう。人間の場合、車よりも圧倒的に『汚れ(魔性)』が染みつきやすい。毎日の点検・メンテナンスが求められている。それが内省の時間なのである。
ブッダは、そうやって自分の内面を見張り続ける人は、『瞑想者(ヨーギ)』と呼ばれるに相応しいと言う。別にこの言葉を使って無駄に混乱するならすぐに忘れていいが、人として崇高なことをやっていると太鼓判を押されたと考えると、悪い気はしないだろう。なにより、何かが起きてからでは遅い。起きる前から始末する『前始末』の能力が、責任者には問われているのだ。そして往々にして人とは、『責任者』である。
内省
間違っている自分が考える正しい事と間違っている事がイコールになっていない事は、十分に理解し間違った結果を味わってきたはずだ。しかし、表面上は普通に生活できてしまっていることが自分の正しいが正しいのではないかと錯覚してそのままにしてしまっていることにつながっている。
正しいとは思っていなくても行動できていなかった内省の時間、向き合うことをしてこなかった結果が今の変わらない自分につながっている。少しでも向き合う時間を積み重ねていれば、今の自分自身を同じように変わらない自分につながっている、とは思わないだろう。結果として自分が選択してきた道がダメなのだから、助言を受け入れ行動につなげていく事が、間違っている方向に進まないためには必要な考えになっていく。
自分を否定しながら考えていく事は難しいが、その自分に対しての鞭を厳しく打っていけば難しいとは思わず当たり前の行動ということを理解していくはずだ。
参照文献
法句経23。
