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孔子『躾け?虐待?そこに愛があるかどうかだ。』(超訳)

儒教の始祖 孔子画像

内省

躾けと虐待の差を理解できているだろうか。例えば、厳冬の季節に上半身裸で男の子が外へ突っ立っていろと言われるとする。この場合、寒さがきつい地域ではなく、比較的死なない程度の地域の気候だ。だがまだ小学生。 それはどうなるだろう。特に今のご時世、傍から見たらどう考えたって『虐待』だ。 少年の体は震えている。

 

しかし、もう少し考えてみよう。 例えば彼は、飼っている犬の脇腹を、思い切り蹴り飛ばした。 彼が友人の前で見栄を張るために、外で飼っている大きな犬を蹴り、自分の力を誇示しようとしたのだ。それを見た父親は怒り、

 

父親

犬の気持ちを知れ!

 

と言って、上半身裸にし、犬のいる玄関の外に放り出したのだ。

 

父親

お前はぬくぬくと暖房の効いた家でこたつに入り、『さみ~!』だかなんだか言って騒ぎ立てるが、犬はお前の様にメソメソ泣きわめいたりしない。今日お前がやったことは、犬への冒涜だ。犬以下だ、お前は! 命の重みを知れ!

 

そう言ってカギをかけ、外に放り出す。泣きわめく少年。そこに寄り添う犬。 少年は、犬に抱き付き、謝りこそしないが、事の重大さを理解しながら、犬の暖かさを通し、命の重みを知った。

 

父親はその姿をちゃんと裏口から回って見ていた。 自分も同じ姿になって、外に出ていたのだ。 そして母親は風呂を沸かせ、温かいうどんを作って待っていた。

 

しばらくして父親は息子の下へ近づき、息子と犬の頭をなで、二人を無言で部屋に入れ、皆で風呂に入り、少年は母の作ったうどんを食べた。皆、特にそれ以上その話をすることはなかった。しかし、間違いなく心の底で彼ら家族は、会話をした。そこにはもちろん、犬もいた。

 

ホイットマンは言う。

 

それはまるで、命の重みを知る為の教育、躾け、あるいは家族会議だったのである。これでもそれが『虐待』だと、思うだろうか。

 

 

注意

※これらの言葉は参考文献や史実に基づき、運営者が独自の見解で超訳し、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。

参照文献

子牢第九-二十七

子曰く、(やぶ)れたる(おんぽう)を衣、狐貉(こ かく)を衣たる者と立ちて恥じざる者は、其れ由なるか。

関連する『黄金律

『愛があれば全ては解決する。』

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