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ブッダ『車の運転事故がある。そして、無いこともある。それはなぜだと思うか。』(超訳)

仏教の開祖 釈迦画像

内省

それは簡単だ。ルールを違反したのである。ここにはもちろん『ルールを守れる状況じゃなかった』というケースも入る。

 

アルコール、合法(危険)ドラッグ、麻薬、睡眠、これらによって『ルールを守れる状況じゃなかった』という場合もそうだ。それをしなければ、事故は無かった。もちろん、自分だけ守っても、他の人が守らなければ、衝突されることもあるが、それでも結局は、その人が『ルールを違反した』わけであり、ルールを守れば、事故は起きないようになっている。

 

それと同じように、人間にもルールがある。例えば、『火』はどうだ。『危険物』はどうだ。車や麻薬と同じように、この世には、その取扱いにルールを用いることが要求されているものがある。だとしたら『人間』も同じだ。人間の心も、ときにブレーキが利かなくなったり、アクセルを間違って踏み込んでしまったりするときがある。

 

ストーカー殺人、小児拉致監禁、強姦、虐め、様々なケースを、思い浮かべることだろう。これも『ルール違反』なのだ。我々は一人で生きているのではない。複数で生きている以上、そこにはルールが必要になる。それを違反すれば、人は、人と同じような生き方は出来ない。『人でなし』になってしまうのである。あるいは、ネガティブにならないこともそうだ。ネガティブは、ルール違反だ。

 

 

とは私が考えた言葉だが、ネガティブな人は、まるでブラックホールのように、周りの人をその負の巻き添えにする。そして何より、自分の可能性をも、負の闇に道連れにしてしまうのだ。

 

それはルール違反だ。ポジティブビッグバンであれ。巻き添えにする権利があると思うか。むしろ、光を与え、創造するのだ。『そういうルールはない』と言ってもいいが、『そういうルールがあったらすごいことになる』と言う選択肢もあるはずだ。常に『ルール』を、最適化せよ。

 

 

注意

※これらの言葉は参考文献や史実に基づき、運営者が独自の見解で超訳し、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。

参照文献

仏典

経集260。

関連する『黄金律

『アウトサイド・インではない。インサイド・アウトだ。』

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