あがり症を治療しないまま大人になるとどうなるの?
あがり症も治さないまま大人になってしまうと、『自分は社会不適合者だ』という自己暗示と悲観的な考えのもと、ニートや引きこもりになるかもしれません。
先生
ハニワくん
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認識で生まれる境界線
にも記載しているが、私の周りには、『うつ病、あがり症、吃音症』という人間がいたし、現時点でもいる。また、両親は生まれた時からクリスチャンだ。日本ではわずか
ほどしかいないキリスト教徒。そして、母の弟、つまり叔父は、『 (精神分裂病)』だった。数年前に亡くなった。私は であり、それは一生貫く覚悟である。
ということで、私はなかなか精神的な話と造詣が深い。私自身も死ぬほど葛藤して、儒教の始祖『孔子』、キリスト教の礎『イエス・キリスト』、仏教の開祖『釈迦』、古代ギリシャの哲学者『ソクラテス』などを筆頭に、様々な考え方を学んだ。
さて、その記事にも書いたが、例えばその『病院で軽いうつだと診断された友人』であれば、『引きこもり』に近い様な生活態度を送っていたわけだ。だがその頃はまだ、
- 引きこもり
- ニート
- ストーカー
という言葉は無かった。例えばこのうち、『ストーカー』について考えてみるとする。すると、昭和のアイドル全盛期時代、芸能人とファンとの距離が今よりも遥かに近かったその時代、電話帳を調べればすぐに家を調べることが出来、ファンが押し掛けてきて、表札や、自転車のサドルを盗まれることがあったわけだ。
しかし、その時代、そういうことはある程度
と諦められていたところがあった。『それも有名人の証だ』として、片付けられていたのだ。
だが、その中から陰湿な事件が起きることがあった。表札やサドルを盗むよりも、更に大きな一線を越えることがあった。それによって、ファンと芸能人との距離が見直されるようになり、規制をかけなければならない考え方が次第に蔓延していった。
そうして長い年月が経ち、『ストーカー』という言葉が出来た。それ以来、人のことを付け回す人がいればすぐにストーカーだと表現され、そこにはある種の境界線が引かれた。『
』という、範囲が設定されるようになったのだ。
その線引きは難しく、中学時代なら、『自分に気がないのに、相手だけ気がある』という、単なる『片思い』の女性に対しても『ストーカー』だと表現することがあった。事実、授業中に彼女の視線が気になって、授業に集中できない。それに対し、『見るな』とも言えないし、どうすればいいかわからず、『ストーカー』だと言って男同士で揶揄し、あえて嫌われるようなことをして、楽になろうとしたのを覚えている。
だがとにかくここで言いたいのは、『ストーカー』という言葉が出来てから、
ということである。
先生
ハニワくん
- 『ストーカー』という言葉が出来てから、 。
あがり症を病気だと認識することがとても重要
『引きこもり』の話に戻ろう。その知人は、引きこもりだった。だが、その時はまだ引きこもりという言葉が存在しなかったか、あるいは蔓延しきっていなかったから、彼がその方向にひた走ることに、何の違和感も覚えなかった。だから彼が病気だと考える人がいなかった。
しかし、引きこもり、ニートという言葉が出来るようになり、彼が自分がそれに当てはまる人間だということを理解することにより、彼は病院で診察を受けることになった。そしてそこで『軽いうつ』だと診断されたのだ。
もし、あがり症も治さないまま大人になってしまうと、『自分は社会不適合者だ』という自己暗示と悲観的な考えのもと、ニートや引きこもりになるかもしれない。治さなければならない。ということはつまり、
なのである。
先生
ハニワくん
- あがり症を病気だと認識することが、とても重要。