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GHQによりついにこの国の過剰崇拝思想にメスが入る!天皇が神ではなくなった『人間宣言』

『GHQ・人間宣言』

第一次世界大戦を利用して『帝国日本』は虎視眈々と野心を燃やし、『大戦景気』がお金を燃やす成金を生んだ

 

上記の記事の続きだ。1945年、ベルリンを包囲されたヒトラーは自殺し、翌年5月にドイツは無条件降伏。1945年8月14日に日本も『ポツダム宣言』を受諾し、1945年9月2日に調印・即時発効(降伏文書)に至って第二次世界大戦(太平洋戦争)は終結した。連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサーは『連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)』を設置。調印式は『東久邇宮稔彦(ひがしくにのみやなるひこ)王』という皇族が組閣した東久邇宮稔彦内閣によって行われた。

 

  1. 降伏した者がソ連軍にシベリアで抑留される
  2. 満州で一家離散し中国残留孤児となる
  3. 敗戦を認めない軍人が現れる

 

等の問題も残った。そして昭和天皇とマッカーサーの会談が行われる。

 

[マッカーサー 1918年、第一次世界大戦中のフランス。レインボー師団司令部で。]

 

マッカーサー側 天皇に戦争責任を追及しない
天皇側 占領統治に協力する

 

その後天皇は、神格を否定する『人間宣言(1946年1月1日』を行い、この国にかかっていたある種の魔法が解けたのであった。

 

朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ— 『新日本建設に関する詔書』より抜粋

 

下記の記事に書いたように、ヤマト政権は5世紀後半から6世紀頃にかけて勢力を伸ばした可能性が高いと言われているが、その時に馬術を学び、それだけではなく、朝鮮半島からの『渡来人』によって、大陸の技術や文化も取り入れた。

 

  1. 鉄器や硬質の土器でる須恵器の制作
  2. 機織りや金属工芸などの技術
  3. 漢字や儒教などの学術

 

儒教というのは仏教よりも前にこの日本に伝来しているが、今までは儒教が全面的に前に出て活躍するという話は持ち上がらなかった。

 

古墳時代の倭国(日本)を支配したのは『ヤマト政権』!そして『氏姓制度』で蘇我氏の勢力拡大を許し、歴史が動く!

 

下記の記事に書いたように、仏教や神道ならあったが、儒教がフィーチャーされ、重用され始めたのはこの江戸時代の『文治政治』になってからだ。

 

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追い詰められた聖武天皇が上を見上げると、そこにはブッダの教えがあった。鎮護国家の誕生

 

その後、『儒教、仏教、神道、アニミズム、御霊信仰』といった様々な精神体系がこの国に蔓延し、独自の形で日本人の心を形成していった。

 

『儒教、仏教、神道、アニミズム、御霊信仰』日本人の心に独特の精神世界が作り上げられていく

 

ペリー来航で開国した時、日本が外国から突き付けられたのが『不平等条約』だった。関税自主権もなく、日本国内で外国人が犯罪をしても日本の司法権が及ばない『領事裁判権』が採用されるなど、一方的な条約だった。

 

関税自主権

安い外国製品の流入を防ぐための関税を自主的に決める権限。

 

  • 天皇の許可なく行ったこと
  • 不平等条約を突き付けられたこと
  • 元々外国が嫌いだった

 

こうしたことが相まって、孝明天皇は『尊王攘夷』思想を強めていった。

 

尊王攘夷

天皇を敬い、外国を打ち払うべきという思想。

 

下記の記事に書いたように、本居宣長(もとおりのりなが)が古事記を再研究し、平田篤胤(あつたね)が儒教・仏教の影響を排除した影響を排除した『復古神道』を提唱し、これによって、日本に『天皇に忠義を尽くし、外国を追い払う尊王攘夷』という考え方が根付くようになった。

 

[本居宣長]

 

更にそこに、徳川光圀の『水戸学』が加わる。最初は儒学を軸にした学派だったはずだが、徐々に『天皇中心に幕藩体制を強化する』という思想になり、こういった思想家たちの解釈と心の動きが、幕末の『尊王攘夷論』に影響してくるのである。

 

尊王攘夷論(幕末のスローガン)

  1. 天皇>将軍>大名の順に忠義を尽くす
  2. 日本に近づく異民族は打ち払う

 

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つまり、

 

  • 本居宣長
  • 平田篤胤
  • 水戸学
  • 孝明天皇

 

こういった人物たちがこの幕末の時代の日本人の思想に『尊王攘夷』という概念を植え付け、後にこれが戦争の種の一つとなってしまうのである。坂本龍馬、西郷隆盛、木戸孝允、高杉晋作、新選組といった幕末の志士たちが命を燃やし、明治維新を成し遂げ、この国に再び『天皇を中心とした集権国家』の機運が舞い戻った。『大政奉還』によって260年続いた徳川の江戸幕府が終わったのだ。

 

国を守りたい。ただそれだけの『愛国心』のつもりが、いつの間にかその防衛戦に勝利することによって人を傲岸不遜にさせ、狂気の渦に巻き込んでいった。そしてその狂気の中心にあったヒトラーは自殺し、取り残された日本も、ヒトラーの猛威と天皇への過剰崇拝の事実を淡々と突き付けられ、『原爆』と『敗戦』という圧倒的な現実を前に、自分たちの考え方を根底から考え直す以外には選択肢がなかったのである。

 

[長崎に投下された原子爆弾のキノコ雲 1945年8月9日]

 

もちろん、男として断固戦う軍人で生き、そこで命を燃やした人間は大勢いた。8月15日朝の玉音放送前に自決した阿南惟幾陸相をはじめ、

 

武人としての死に場所を与えてくれ!

 

と11機23名(うち5人が生還)とともに玉音放送を受け特攻機で命を絶った宇垣纏中将、陸軍省参謀本部の大正天皇御野立所で切腹した晴気誠少佐など、日本の降伏を受け入れられず、また降伏の責任を負って皇居前や代々木練兵場、基地などで自ら命を絶った軍人や民間人は数百人に渡った。

 

GHQから出頭要請された近衛文麿も、戦争犯罪者になるくらいならと、自殺。A級戦犯として極東国際軍事裁判で裁かれることが決定した近衞は、巣鴨拘置所に出頭を命じられた最終期限日の12月16日未明に、荻外荘で青酸カリを服毒して命を絶った。54歳2ヶ月での死去は、日本の総理大臣経験者では、もっとも若い没年齢であり、また総理大臣経験者として、死因が自殺である人物は近衞が唯一でもあった。

 

MEMO

最新の資料によると他殺の可能性も出てきている。

 

しかし、昭和天皇が『人間宣言』を出す前に、東久邇宮稔彦もマッカーサーと意見がぶつかった。マッカーサーは、

 

人権指令

  1. 天皇制についての自由な議論の許可
  2. 治安維持法の廃止
  3. 政治犯・思想犯の即時釈放

 

を要求。『治安維持法』は、頻発していた無政府主義者や社会主義者、あるいは暴動やテロの活動を抑制するために制定したもの。

 

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また『政治犯・思想犯の即時釈放』には、『大逆罪』のような天皇制や、既存の政治制度に逆らう『意志を持った者』の自由を意味していた。かつて、政治制度として天皇制を重視した大日本帝国憲法下の日本政府は大逆罪を重罪とし、死刑・極刑をもって臨んだ。裁判は非公開で行なわれ、大審院(現・最高裁判所)が審理する一審制(「第一審ニシテ終審」)となっていた。これまでに知られている大逆事件には、

 

  • 1910年(1911年) – 幸徳事件(検察によるフレームアップがあり、幸徳と面識があるだけの有罪者もある)
  • 1923年 – 虎ノ門事件(虎の門事件とも表記される)
  • 1925年 – 朴烈事件(「朴烈、文子事件」とも呼ばれる)
  • 1932年 – 桜田門事件(李奉昌事件とも呼ばれる)

 

の四事件がある。単に「大逆事件」と呼ばれる場合は、その後の歴史にもっとも影響を与えた1910年の幸徳事件を指すのが一般的である。1910年、幸徳秋水(こうとくしゅうすい)とその仲間合計26人は、大逆罪で多補された。大逆罪とは、

『天皇や皇太子などに対し危害を加えわるいは加えようとしたものは死刑』

 

というもので、証拠調べの一切ない、非公開の裁判で裁かれるしかも1回のみの公判で、上告なしである。社会主義者たちの一掃をはかった権力により、幸徳らは大逆罪に問われ、処刑された。

 

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それはまさしく、『天皇制への否定』を意味していた。東久邇宮稔彦はこれを受け入れられず、わずか54日間で総辞職。次の総理大臣は幣原喜重郎が担った。

 

東久邇宮稔彦 天皇の権威で国内を治める目的があった
幣原喜重郎 協調外交に強くアメリカとの交渉を円滑にする目的があった

 

ワシントンに『極東委員会』が設置され、ここで決定された政策が東京にある『GHQ』に、そしてGHQが『日本政府』に伝達するという間接統治のもと、占領政策が行われていった。

 

対日理事会

  1. アメリカ
  2. イギリス
  3. ソ連
  4. 中国

 

アメリカ 沖縄、奄美、小笠原
ソ連 千島列島

 

対日理事会を東京に設置し、各諸島が連合国に占領され、日本は『非軍事化』と『民主化』を求められた。また、ヒトラーらと同様にこの世界の脅威とならないために、危険な因子を取り除く必要があると考えたのだ。そのためにはその2つのポイントを押さえることは当然の解釈だった。

 

[小笠原諸島 筆者撮影]

[小笠原諸島 筆者撮影]

[小笠原諸島 筆者撮影]

 

MEMO

1967年(昭和42年)11月16日 – 南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(米国との小笠原返還協定)により、小笠原諸島の日本への返還が決まる。

 

アメリカの文化人類学者ルーズ・ベネディクトは、『菊と刀』という著書の中で、『欧米の文化=罪の文化。日本の文化=恥の文化』という表現をしている。日本人が失敗し、恥をかき、誇りを失う結果になるぐらいなら、切腹によって自ら自決する。そういう思想と行動は、欧米人から見て不気味の一言だったわけだ。

 

 

しかし、『日本=武士の国』、『日本=恥の文化』として外国人が我々を一辺倒に見てしまうのもうなづけるほど、かつてこの国の確固たる根幹に、武士の存在と、それを支える様々な精神体系があったのだ。そして、戦中、戦後に実際にあった集団自決に、『神風特攻隊』のような命の使い方。こうした考え方をする民族は、海外から見たら脅威でしかなかった。

 

例えば、2001年9月11日の『アメリカ同時多発テロ事件』を皮切りに、この世界にイスラム過激派のテロリズムが横行するようになった。彼らは口をそろえて、

 

アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)!

 

と叫び、自らの命を使って殉死し、死後の世界に淡い期待を寄せながら自爆テロを行う。それに対し、多くの人々はただただ恐怖するだけである。それと似た感覚を、当時の世界の人は日本人に見ていたのだ。

 

イスラム教の神はなぜ『アラー』ではなく『アッラー』なのか?

 

ちなみにこの話には奥がある。『利己的な遺伝子』で有名なリチャード・ドーキンスの著書『神は妄想である』にはこうある。

『イブン・ワラクは、一人のイスラム教殉職者につき72人の処女を与えるという有名な約束において、『処女』は『水晶のように透明な白い干しぶどう』が誤訳されたものであると、愉快そうに主張している。いまや、このことがもっとひろく知られてさえいれば、自爆テロの犠牲者となったどれだけ多くの罪なき犠牲者を救うことができていたことだろうか?』

 

さらなる詳細は下記の記事に書いた。

 

イエスの母親は『処女』ではなく『乙女』の間違い!?世界最大規模の2つの翻訳ミスとは

 

[マッカーサー最高司令官(左)を訪問した昭和天皇(右)、1945年(昭和20年)9月27日撮影]

 

 

中田敦彦のyoutube大学

オリエンタルラジオの中田敦彦さんがこのあたりの時代をまとめた人気動画があります。

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