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なぜ戦争中に『人が隣で死ぬ』と嬉しかったのか

戦争の一番の恐怖は人が死ぬことである。例えば以前の文献によると、アメリカでは毎日18人前後の元兵士が自ら命を絶っていた。アフガニスタンとイラクからの帰還兵だけでも自殺者は数千人にも上り、戦闘中の死者数(6460人)を上回っていたのだ。『PTSD』である。

 

PTSD

心的外傷後ストレス障害。この場合、戦争の経験がトラウマになり、自分の人生に支障が出てしまうこと。

 

ついさっきまで仲良くしゃべっていた友人が、次の瞬間に死んでしまう。こういうことをイメージするために見るべき映画はいくつかある。例えば、

 

  1. プライベート・ライアン
  2. ハクソー・リッジ
  3. ローン・サバイバー

 

 

 

 

後の2つに関しては実話であり、このどれもで、『戦場で友人が死ぬ』という状況を描いている。現代を生きる人間にとって戦争というのは、まるでゲームの世界のような作り物の世界のように見え、現実味がないかもしれないが、それはただの想像力の欠如だ。戦争ほど、人間が取るべき立ち居振る舞いがよくわかる世界はない。特にこの『ハクソー・リッジ』では、決して人を殺さないと誓ったクリスチャンの青年が、戦場でどこまでその信念を貫き通せるかを見ることができる、とても見ごたえのある映画となっている。

 

また、『ローン・サバイバー』は、あのハーバード大学史上最も人気が高い授業「JUSTICE」(正義)で知られる政治哲学の教授、マイケル・サンデルの著書『これからの「正義」の話をしよう』にある、この言葉と非常に関係がある映画だ。

 

 

詳しいことは記事で確認したい。同じく、とても考えさせられる映画となっている。

 

 

しかし、今回のテーマに相応しいのはこの映画になるだろう。『マン・ダウン 戦士の約束』である。

 

 

衝撃の7分46秒。あなたはこの映画の結末を予想できるだろうか。

 

さて、これが戦争で人が死ぬということだ。戦争が終わっても、PTSDで人が死ぬ。それほどまでに凄惨な状況で、『人が隣で死ぬと嬉しかった』などということがありえたのだろうか。

 

五木寛之の著書『大河の一滴』にはこうある。

あるシベリア帰りの先輩が、私に笑いながらこんなことを話してくれたことがある。『冬の夜に、さあっと無数のシラミが自分の体に這い寄ってくるのを感じると、思わず心が弾んだものだった。それは隣に寝ている仲間が冷たくなってきた証拠だからね。シラミは人が死にかけると、体温のある方へ一斉に移動するんだ。明日の朝はこの仲間の着ている物をいただけるな、とシラミたちを歓迎する気持ちになったものだった。あいだに寝ている男が死ぬと、両隣の仲間にその死人の持ち物、靴や下着や腹巻や手袋なんかを分け合う権利があったからね。』

 

これが戦争である。人が本当に究極の状態に陥った時、選択肢は二つに分かれる。狂い、鬱になり、足を前に出すことの意義を見失うか、自分が今生きていることの奇跡を噛みしめ、逆に最後の一呼吸までその命を無駄にしないと誓うか。

 

こういう話を更に深く掘り下げたい人にうってつけの本がある。ナチスの強制収容所に収監され、人間の想像を絶する3年間を過ごしたドイツの心理学者、ヴィクトール・E・フランクルの著書、『夜と霧』である。

 

 

もし本気で読むつもりなら、覚悟しなければならない。よく『実写化不可能のはずだった』と言われる映画を見かけることがあるだろう。だが、この真実だけは本当に実写化できない。いや、してはならないのだ。

 

 

参考文献

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