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エース『一度向き合ったら、俺は逃げない…!!』

byエドワード・F・ベンソン

 

この人生とは、”生き方の説明書”がない。だから皆、どう生きればいいか、わからなくて葛藤する。なんか、感覚的に、他の人がやってる行動を取れば、心が落ち着く。満員でも皆と一緒に電車に乗って、週末の混んだ遊園地や動物園や空港に行って、行列のできたラーメン屋に並んでいれば、なんか、感覚的に心が落ち着く。

 

(これでいいんだよな。)

 

(これで充実してるんだよな。)

 

(皆も、いるしな。)

 

自らに問いかけ、葛藤する。死から目を背け、生に執着する。普通、この人生を “生きながらえる”という概念はなく、ただただ、この人生を、より快楽の多いようにするために、画策し、仕事をし、時には犯罪をする。ある日、職業は伏せるが、仕事、資産、教育、宗教、ともに、パッと見、順風満帆に人生を送っているように見える、老夫婦の一人が言った。『死ぬのは、嫌よね。』私はそれまで、その老夫婦が私と話したがっているようだから、(私を通して、ある情報を聞き出すことが狙いということもわかったうえで)話につきあっていたが、その言葉が出た刹那、彼らは人生の先輩ではなく、後輩になり下がった。

 

死ぬのは嫌?この時点で、人生が何かを、考えられていない。今まで60、70年間、どういう生き方をしてきたかが、その一言で全て、露呈したのだ。親とは、子供にとって、指針である。その親が、そういう心構えで子供に接し、そういう教育をすれば、子供がどういう風に育つか。彼の息子の背中に、入れ墨が入っているのは、この親の教育の、結果である。親が”生き方”を、導かなかったのだ。なぜなら親が、 “生き方”を知らなかったのだから。私の親も同じだ。クリスチャンとして、聖書を読み、教会に通うのに、『私がやっているのは宗教じゃない』と言うような親だった。

 

『バカお前…!!』

 

『一度向き合ったら、俺は逃げない…!!』

 

こういう言葉がある。

by御木徳近

 

例えば、努力と創造を放棄して、民間人に悪臭や菌を撒き、納税、勤労、教育の三大義務を放棄し、ゴミ箱をあさり、人の食べた残りカスにすがるホームレスの生活は、 “人生”に値するだろうか。例えば、拝金主義が、悲劇的な天災が起きた時、

 

(ああ!!なんて、災難だ!一体、どれだけの被害が起きて、 どれだけの人が被災者になったのだろうか!!)

 

と考えず、

 

(よし!!重機の株が上がるぞ!!)

 

(へっへっへ!!これでまたみなしごをかっさらって売れば儲かるぞ!!)

 

と考えるような人間が送る生活は、 “人生”と呼べるだろうか。人間には、裏切り、欺き、嘘をつき、偽り、誤魔化し、騙すような選択肢もあれば、愛し、思いやり、親切にし、熱く、美しく、逞しく生きる選択肢も、与えられている。もちろん彼らもれっきとした”人間”だ。”差別”してはいけない。立派だろうが、最悪だろうが、れっきとした、同じ人間、同じ地球に住む生命だ。

 

だが、”区別”はする。蚊や、ゴキブリを”害虫”と判断し、駆除し、排除し、殺傷する人間にも、同じく、人間として認められない存在もいる。そういう人間の一生は、おそらく”人生”とは、言えない。この一度しかない人生。どう生きて、どう死ぬか。自分の人生と向き合い、そして逃げないこと。それが、人間としての、矜持だ。親になる人間は、この問題から、逃げてはならない。自分の最愛の子供が、子孫が、このたった一度の素晴らしい人生から、逃げてほしくなければ。

 

Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV

※画像は以下の参考文献から引用しています。

 

一言

この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。