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エース『逃げたら何か…大きな物を失いそうで怖くなる…』

“信条”とは、固く信じて守っている事柄。信念。ある種、宗教、信仰にも似た、心構えのことである。人は、この答えのない人生を生きていく為に、信条、信念、宗教、信仰、意志、矜持、誇り、それらの”強い”『ココロ』、生きるエネルギーを見出だし、今日も人生を生き貫く。別にそのどれを選択しなければならないという、義務はない。人間は、それを選択する自由がある。それが、幸か不幸かは分からない。

 

今、世界中のイスラム教徒は、イスラム教の最高預言者、ムハンマドをアメリカ(キリスト教)に侮辱され、激昂している。各地が大規模なデモが行われ、死者が出てしまっているのだ。人間は、生き方の自由を手に入れると同時に、排他(自分の仲間以外の者すべてを退けて受け入れない)性と、軋轢、対立の発生を受け入れなければならないジレンマを抱えている。つまり、自分達がその中のどれか一つを選択することが、この世の誰かとの不和に通じてしまうことになりかねないのだ。

 

私は個人的に、世界中が争ってしまうそもそものこの宗教の違いが、人間として正しい形であるとは、思わない。だが、人は皆、自分達が信じる指針を、大事にしたいのだ。その指針があるからこそ、ここまで生きてこれたのだ。その人生の道しるべを、信念を、侮辱されたり、曲げてしまうことは、自分の今までの人生、これからの人生を、否定することになってしまう。

 

上に挙げたような『ココロ』とはまるで、自分の身体、魂の中に通る、一本の芯であり、大黒柱。その芯が抜かれてしまったら、その大黒柱が折れてしまったら、人の心は、まるで魂が抜かれたように、打ち砕かれてしまうのだ。人はその”強い”『ココロ』を必死に守ろうとする、”弱き”生き物なのだ。

 

『時々…カッと血が上るんだ…逃げたら何か…大きな物を失いそうで怖くなる…”あの時”は…おれの後ろに ルフィがいた』

 

ちなみに私が重んじている『ココロ』は、『自分にしか生き貫けないオリジナルな矜持』である。だから、ワガママだとか、傲慢だと誤解、批判されることもある。それに、この私のこと、生き方を否定する人間とは断固として戦うし、自分を曲げない。なぜなら、私も、そういう『ココロ』を人生の寄りどころにする、一人の”弱き”人間だからだ。自分を曲げてしまったら、自分が自分でなくなるような、そんな気がして、頑なになるのだ。

 

Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV

※画像は以下の参考文献から引用しています。

 

一言

この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。