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三島由紀夫の名言・格言一覧

日本作家。三島由紀夫(平岡公威)は1925年1月14日に生まれ、1970年11月25日に割腹自殺を遂げた日本の作家、そして思想家です。作家としては日本の戦後文学を代表する作家のひとりとして挙げられるほどで、代表作としては仮面の告白、潮騒、金閣寺、鏡子の家、憂国、豊饒の海などがあります。(画像

名言一覧

22個あります

『まことに人生はままならないもので、生きている人間は多かれ少なかれ喜劇的である。』

『青春の特権といえば、一言をもってすれば無知の特権であろう。』
『傷つきやすい人間ほど、複雑な鎧帷子(よろいかたびら)を身につけるものだ。そして往々この鎧帷子が、自分の肌を傷つけてしまう。』
『法律とは、本来ごく少数者のためのものなのだ。ごく少数の異常な純粋、この世の規矩を外れた熱誠、……それを泥棒や痴情の犯罪と全く同じ同等の『悪』へおとしめようとする機構なのだ。』
『女が一等惚れる羽目になるのは、自分に一等苦手な男相手でございますね。』
『何のために生きてゐるかわからないから生きてゐられるんだわ。』
『自殺しようとする人間は往々死を不真面目に考へてゐるやうにみられる。』
『嫉妬こそ生きる力だ。』
『男性は本質を愛し、女性は習慣を愛する。』
『若さが幸福を求めるなどといふのは衰退である。』

10。
『なぜ大人は酒を飲むのか。大人になると悲しいことに、酒を呑まなくては酔へないからである。』
『無神論も、徹底すれば徹底するほど、唯一神信仰の裏返しにすぎぬ。無気力も、徹底すれば徹底するほど、情熱の裏返しにすぎぬ。』
『空虚な目標であれ、目標をめざして努力する過程にしか人間の幸福が存在しない。』
『男の虚栄心は、虚栄心がないやうに見せかけることである。』
『真の危険を犯すものは理性であり、その勇気も理性からだけ生れる。』
『ほしいものが手に入らないといふ最大の理由は、それを手に入れたいと望んだからだ。』
『潔癖さといふものは、欲望の命ずる一種のわがままだ。』
『天才というものは源泉の感情だ。そこまで堀り当てた人が天才だ。』
『僕はいはゆる美人を見ると、美しいなんて思つたことはありません。ただ欲望を感じるだけです。』
『生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。』

20。

『男の本質は、マザー・シップ。』
『人に笑われるなどということは全く大したことじゃありません。だから我々は大いに他人の失敗を笑うべきなのであります。』

22。

 

名言だけを見たい人のために内省記事は別のページに分けました。

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三島由紀夫の格言と向き合って内省する

三島由紀夫(平岡 公威)とは(画像

日本作家。三島由紀夫は1925年1月14日に生まれ、1970年11月25日に割腹自殺を遂げた日本の作家、そして思想家です。作家としては日本の戦後文学を代表する作家のひとりとして挙げられるほどで、代表作としては仮面の告白、潮騒、金閣寺、鏡子の家、憂国、豊饒の海などがあります。作家として下積み時代に川端康成を訪ねたという記録が残っています。その際に小説中世と、煙草の原稿を渡しています。作家としは川端康成の庇護を受け、着々と力をつけていきました。

 

鎌倉文庫の幹部でもあった川端康成の力で作家として作品を発表した経緯もあり、生涯に渡って師弟関係になっています。この時期は太平洋戦争前後でもあり、敗戦後に川端康成が発した私はこれからもう、日本の悲しみ、日本の美しさしか歌ふまい、という言葉に深く感銘を受けたと言われていて、その後の思想家としての活動の根幹も川端康成が大きく関わっています。

 

三島由紀夫の晩年は政治的な思想家であり、その活動の一端として自衛隊に体験入隊もしています。その後民兵組織の楯の会を結成するなど、一作家の活動の範疇を超えていきました。その活動が一気に人目に晒されたのが自衛隊市ヶ谷駐屯地の襲撃です。楯の会の構成員4名と共に東部方面総監を監禁し、部屋の前のバルコニーで自衛隊員に向かってクーデターを促す演説を行い、割腹自殺を遂げました。この事件をきっかけにして新右翼が誕生するなど、日本国内の政治運動に色濃く影響を残した人物です。名言に、「右翼とは、思想ではなくて、純粋に心情の問題である」というものがあります。真の憂国者としての生き様を貫いた人物でもあります。