偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
運営者
考察
登山をしたことがない人にはピンと来ないかもしれない。だが、登山を一度でもしたことがある人ならば、痛いほどこの言葉がよくわかるはずである。
『山を舐めるな』。
私はその言葉は、聞いていたはずだった。しかし、私は舐めてしまったのだ。だからスキップを踏むようにして歩いたり、階段を二段飛ばしで体力任せに進んだ。だが、いくら進んでもまだまだ頂上にはたどり着かない。そして、途中自分が追い抜いた女性登山者が、その横を淡々と歩いて抜き去っていく。
なんという屈辱だろうか。私は自分の無力さを思い知り、傲慢さを打ち砕かれたのである。上の写真は実際の写真だ。屋久島である。このトロッコの道を歩いてひたすら歩き、そしてそこから更に山道を登っていくのだ。目の前にいるのが追い抜いた女性の一人。
『山を舐めるな』。
私は、どこからかそういう言葉が聞こえてきたような気がした。山で遭難し、転落し、あるいはたった今報道されているような、『噴火』による災害によって命を絶たれることがある。大自然の甚大な力を思い知るために登山をするのだという事を頭に焼き付けたい。
そう考えると人はむしろ、山に登るべきである。もし登れないというのであれば、自分に自信がないということだ。何しろ山では、『負けることが日常茶飯事』。人は負けたら精神的にこたえる。山に登らないということは、それに耐えることができないということだ。『勝ち』に執着して生きてきて、『勝ち逃げ』してきた人生が露呈し、メッキが剥がれることを恐れているということだ。
負けるからこそ人は強くなれるし、謙虚でいることができる。本当に『自信』をつけるためには、むしろ山に登るべきである。そして負けるのだ。それでようやく人としての本分を心底から理解し、『過信』が『自信』へと変わるのだ。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
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