『ヒト』を最適化しよう。

ジョルジュ・サンド『愛せよ、人生において良いものはそれのみである。』

名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!

運営者

ふむ…。

考察

人生に『愛』がないということは、そこには『意志』もない。

 

デカルトは言う。

 

意志が無いという事は、そこに『人』がいるのかどうか疑問だ。何しろ『人』というのは、『人殺し』や『人でなし』に対して使う言葉ではなく、『愛』がある人間に使う称賛の言葉である。挙げたような者には『愛』はない。あるのは『エゴ』だ。自分本位なエゴとは、『愛』とは対極にある心の在り方である。

 

愛

 

『エゴでも立派な意志だろ』と言いたい人もいるだろうが、それは『意志』ではない。例えば赤ん坊の頃、何を口にして親をハラハラさせただろうか。あるいは、どこに用を足して迷惑をかけただろうか。それを『意志』でもってやっていたのであれば、病院に入院する必要がある。しかし、『無意識』にやっていたのなら、入院する必要はない。

 

では、『意志』でもないし『無意識』でもない。そう考えると、『意識』というキーワードが浮かび上がってくる。『意識的に(自分勝手な行動を)やっている』。だから『意志だと思っていた』が、実はそれは『意志』と呼ぶには値しない未熟なもので、言うなればまだそれは『意識』というレベルである。

 

意識

 

人に流されて人をいじめるのも、周囲に流されて並んでしまうのも、意見に流されてつい買ってしまうのも、そこには確かに『意識』はあるが、『意志』はない。その証拠に、後でしっかりと『意志』が自分を、後悔させるだろう。ここまで考えると見えて来るものがある。『人』とは、『意識、無意識』、そして『無意志』の状態にある人間を指すものではない。『意志』ある者こそが、人間なのだ。

 

『意志』とは、『愛』である。自分以外の事を考えることが出来るのは、『意志』だけだ。断固として意見を貫く『意志』。そこには確かに一見すると(自分勝手に言いたいことを言う人)という表層が浮かび上がるが、実際はその逆だ。

 

愛

 

例えば、だ。もちろん例外はあるが、『不味い料理』を『不味い』と言う。なぜなら本当に不味いからだ。そして、『美味しい料理』も確かにあった。そのときは『美味しい』と言った。

 

もしここで『相手の為』とかいう綺麗ごとを並べて、『美味い』と言ったのであれば、確かに荒波は立たないだろう。だが、実際の部分では、(不味い料理だ)と思い、作った側は(これでいいんだ)と思ってしまう。その『ズレ』がいずれ、大きな歪みを生み、『離婚』という形になれば、そこに『愛』はあるのだろうか

 

それよりも、一時的には問題になりそうでも、それを避けずに、そこから逃げずに、不味い物は不味いと言う。そして、『だがあれは美味しかった』とハッキリと言う。すると、作り手の料理の腕は、みるみるうちに上がっていくだろう。そしてほんの少しの時間が経てば、

 

美味しいね!

ありがとう!

 

と、心の底から共鳴し合う、最も好ましい姿がそこにあることだろう。『ある』からといって与えてはいけないときもある。それが『愛』の奥深さと、崇高さを物語っている。もう十分だろう。『愛』とは、こんなにも複雑で、それでいて尊い。高潔で高邁な人間ドラマを生む『愛』。これがなければこの人生など、虚無に等しい。

 

更にこの話を何階層も深くする記事がある。しかし、これは当サイトで最も難易度の高い記事である。

 

『世界平和の実現に必要なのは『真理=愛=神』の図式への理解だ。』 『真理(愛・神)から逸れれば逸れるほど虚無に近づく。』

 

 

 

MEMO
※この文章は全て運営者独自の『名言を通した見解』です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
運営者 一瀬雄治(Yuji ichise.)の半生

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