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マザー・テレサ『私は親切にしすぎて間違いをおかすことの方が、親切と無関係に奇跡を行うより好きです。』

名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!

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ふむ…。

考察

私は、クリスチャンであることを強要されて育った。しかし私は、クリスチャンではないし、今も、これからも一生そうなるつもりはない。

 

 

これが大変なのだ。とてもここにサラッと書いて終わらせるような話ではない。幾多もの葛藤と、衝突があった。14歳で一文無しで家出をしたことなど、『序の口』である。私は、全宗教を怨んだ。その存在に疑問を抱いた。

 

(なぜ神がいるなら、こうやって異宗教を乱立させたり、争いをしているのを放っておいているのか?)

 

争い

 

私には到底理解できなかったし、するつもりも無かった。長い間思考を放棄する刹那的な人生を送ったが、その後、偉大なる恩師達との出会いも手伝って、『四聖』に数えられる、孔子

 

孔子

ソクラテス

ソクラテス

ブッダ

ブッダ

キリスト

キリスト

 

彼らと向き合い、彼らの教えに真正面から向き合うところまで、たどり着いた。一時は親が死ねばいいと思っていた私が、その親から強要されたキリストをはじめとする宗教と向き合うことが、奇跡でなければ、なんだと言うのか。

 

そう考えると、これは『親切と無関係の奇跡』だ。『親切にしすぎて間違いをおかした』のは、私の両親の方である。その両親の方が好きだと言うのが、マザー・テレサだ。両親は、私の事を思って信仰を勧めていた。そこに悪気はなかったのだ。しかし、私にそれを押し付けるのは『間違い』だった。私は自我が人一倍強く、そういう人間に何かを強要することは、教育上間違っている。

 

しかし、人間は失敗するものなのだ。全てがうまくいくわけがない。それよりも、そこに『愛』という尊さがあった。そこを評価したいというのが、マザー・テレサだ。だがマザー・テレサは次の話を聞いて、どう思うだろうか。

 

ブッダの言葉の超訳として私は、

ブッダ

 

ここに『育児と教育は違う』と書いた。この両親は、その息子と息子の連れていた女性と一緒に、食卓を囲んで、食事をした。愛情だ。最愛なる息子と、その友人に、食事を振る舞いたい。お腹を空かせてはいけない。さあ、食べなさい。

 

だが、その息子はその後その女性を、あまりにも無残な方法で殺害し、遺棄した。

 

 

ここからが重要である。何とその両親は、うっすらとそういう事実に気づいていたというのだ。警察に突き出すのではなく、食卓を囲んで食事をした。

 

さあ、マザー・テレサよ。親切にして間違いを犯したその両親について、どう説明するつもりか。

 

そんな間違いが好き?

 

そうか。

 

それなら、被害者の遺族と会って、そう説明するがいい。奇跡でも何でも、被害者の家族は、きっとその子に生きて帰ってきてほしかっただろう。

 

 

 

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