偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
ふむ…。
運営者
考察
やはり『正義』というものは、『愛』に非常に近いものであると考えられる。だとしたら、自分がまったく傷つかないでそれを行うことは難しい。
トルストイは言った。
あるいはこうも言った。
愛とは、『没我』である。自分が犠牲になることを厭わず、相手の命を尊ぶ。これが『正しい義』であり、『愛』なのである。例えば、『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャンは、無実の罪なのに、投獄されたわけだそして、出所して生きるために、教会から銀の食器を盗んだ間もなくすると、その教会の牧師に見つかった。しかし牧師はこう言ったのだ。
『よかったらこの銀食器も、持っていくがいい。』
この場合、牧師はまず物理的に傷ついた(損失を出した)わけだ。しかしそれだけではなく、むしろ違う銀食器をも彼に差しだして、彼の心境を想った。こういうところに、真の愛、そして正義があるのだ。
MEMO
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
Check
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
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