偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
運営者
考察
誤解されるからだ。例えば、氷山が水の上に見えたとする。では、その氷山を見ただけで、その全容を把握できる人間はいるだろうか。
答えは『No』である。
これと同じように、人に言うべきことを言う時は、最後の最後まで振り絞って言わなければ、相手が『誤解』したままになる。表層(氷山)だけ相手に見せれば、相手はその全容が氷山だけだと誤解するのだ。そして、その誤解が更なる誤解を生み、伝言ゲームの要領で、どんどん間違った方向へとひた進んでしまう。
私はその経験者だからよく理解している。馬鹿みたいによく理解している。私は極端な性格だ。言う時は、本当の話で3時間だろうが4時間だろうが、時間にお構いなく、話の根本まで出して話す。というか、そこまで話さないと、結局その全容を話すことが出来ないのだ。だからそれくらいの時間はかかって当然だと考えている。
しかし、それだとさすがに相手の体力が持たない。それに、時間の限界もある。従って、(中途半端に話すくらいなら)ということで、初めから黙っていることがあまりにも多いのが、私の人生なのである。しかしまあ、その最中や、あるいは氷山の一角だけ確認した人間の、なんと誤解の多いことか。滑稽としか言いようがない。なぜその水上の氷だけが氷山の全容だと思ったのか。その誤解が許されるのは子供だけだ。私も相手が子供であれば、何の文句もないが、大人でそれをやっているのはまずい。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
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