偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
運営者
考察
こうも言っている三宅雪嶺は、とにかくこう言いたいのだ。
『出来る、出来ないという二つの選択肢の中から、なぜ出来ないという方の選択肢を選ぶのだ。それは自分で選んだんだぞ。』
『どうせ出来ないよ』と言う『ドリームキラー』のことなど放っておいていい。彼らはむしろ、こちらが導いてあげるべく『生徒』なのだから。背を比べるだけの相手ではない。何しろ、『出来る』のに『出来ないよ』と言うのだから、もう、ほとんど彼は何も知らないのと同じだ。何も知らない赤ん坊に物を教える様に、見下すこともなく、憤怒することもなく、淡々と教えてあげればいい。そしてそれは自分に対しても淡々とするべきなのだ。
出来ない?それはそうだろう。最初から自転車や車に乗れた人間などいない。厳密にはいるが、いないと言っても差し支えはない。だとすると、『最初は両足で立って歩く』ことすら『出来ない』赤ん坊だったのだ。『今は』出来なくて当然。そして出来て当然。それは、今自分が両足で立って歩くことを当然のものとしている様に。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
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