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アラン『不信の力とは、宣託を聞こうとしないことである。聞けば少しは信用するに違いない。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

ふむ…。

運営者

考察

『宣託(せんたく)』というのは、神のお告げという意味である。もうこの時点で、10代の頃の私なら、『は?』と言って、『何が神だよ馬鹿野郎』と吐き捨て、敵視しただろう。私は実の両親にクリスチャンになることを強要されて育って、『神』とかなんとかという存在に対し、そうしてひどく敏感だったのである。

 

だが、私はそこで『思考停止』してしまっているわけだ。そこでもし、『うるせえんだよこの野郎』と言わずに、『ふむふむ。どういうことかね。』とか、そうやって心を開いていけば、聞けたはずの『聞く価値があった意見』を聞かないで終わる、という機会損失を無くすことが出来る。聖書には、飢饉や天災のことが書いてあって、実際の世界でそういうことが起きると、両親はまだ幼い私を呼び、聖書を見せ、

 

母親

ほら、ここにこう書いてあるでしょ。

 

と言って、まるで『聖書という神の本には、この世のありとあらゆることが書いてあり、神は全てを予言している』というメッセージを私に力強く押し付けてくるようなことがあったが、よく考えたらその様なことは『人は死ぬ』と書いてあるのと同じぐらい、『当たり前のこと』であり、それをあたかも『神のお告げ』かのように演出し、クリスチャンになるように洗脳させたのは、私の両親の盲信的行為だが、しかし、確かにそれでも『書いてある本』と『書いてない本』があることを考えると、聖書に書いてある言葉は、どれも傾聴に値するものばかりなのである。

 

もし私に、そうした『両親が植えつけようとした洗脳的な強要』に対する『抵抗』がなければ、聖書に対する偏見や曲解はなく、この書物から得られるはずの恩恵を得ることが出来た。しかし、当時の私は聖書も含めた、それを強要する両親、それら全ての『私の自由を奪う存在』を忌み嫌い、私の目を曇らせ、多くの機会損失を出していたのである。

 

 

 

MEMO

※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。

 

Check

こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。

 

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