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北野武『悲しいけど、目の前に死がチラついている時には、芸術や演芸なんてのはどうだっていいんだよ。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

偉人

ふむ…。

運営者

考察

『よく『被災地にも笑いを』なんて言うヤツがいるけれど、今まさに苦しみの渦中にある人を笑いで励まそうなんてのは、戯言でしかない。しっかり飯が食えて、安らかに眠れる場所があって、人間は初めて心から笑えるんだ。悲しいけど、目の前に死がチラついている時には、芸術や演芸なんてのはどうだっていいんだよ。』

 

 

この言葉は、とても被災者本位になって考えられたものだ。多くの被災者はこれに共感し、感銘を受けるだろう。被災者の気持ちは、被災者にしかわからない。それなのに、『わからない人間』がよそからやってきて、自分達の信念だかビジネスだかを強要してくる。これは当人たちからすれば、煙たいものでしかない。

 

イチローも、震災のときに、その復興を応援する形を取った野球界に対し、

 

と言って、自分たちと被災者たちとの間にある、決定的な考え方の違いを、主張した。彼らは間違いなく、人の気持ちが理解できる、思慮深い人間だということがわかる。

 

ここで考えたいのは、『死と芸術』についてだ。『目の前に死がチラついている時には、芸術はどうだっていい』ということになるのであれば、兼ねてから芸術家たちが口を揃える、『死と芸術』に対する考え方はどうなる。全て『茶番』だということでいいだろうか。しかし、芸術家の中には、それを追及している中で、死んでしまう人間もいるわけだ。被災地で行う演芸で、喜ぶ人だっているだろう。だとすると、必ずしもそれらを行うことは無駄な事ではないわけだ。

 

しかし、当時は私もとてもセンシティブになっていたのを思い出す。寄付をしていない金持ちがいたなら、(なぜ出さないんだ)とさえ思って、憤りさえ覚えた。とある芸人は、『こんな時ぐらい、テレビ局は全て団結して、それぞれが役割分担をして、効率的にやれ』と言って感情的になり、一時、大御所と芸能人と一触即発の気配もあった。『それはどうかと思うけどね。』しかし、彼らは東北の出身だったのだ。多くの知人が死んだ経験が、彼らの心を葛藤させ、熱くさせたのだ。

 

人が死ぬということは、それだけ人間の人生に大きな影響を与えるものなのだ。私の父親も18歳の頃に死に、部下にも幼少期に事故で兄を亡くした人間がいるからよくわかるが、『芸術や園芸やスポーツはどうでもいい』というよりは、『死』ほど人間の心に強い影響を与えるものはない、ということなのである。死んでしまったら、それらも含めたこの世の一切の森羅万象や概念たちとは、無縁になってしまうかもしれないのだ。そういう時、人は思い出すのかもしれない。

 

(そういえば、生きて、そして死んでいくだけだった。それが人生だった。)

 

それを誤魔化す為なのか、あるいは精一杯満喫する為だったのか、人は、自分の責務や仕事を見つけて、人生に勤しんできた。しかし、人は必ず死ぬのだ。その決定的な真理を強く自覚した時、人間は、『人為的な一切のもの』ではなく、『この世にある絶対的な真理』に目を向けるのである。

 

 

 

MEMO

※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。

 

Check

こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。

 

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