偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
運営者
考察
『我々男が女を愛するときに、女の弱さも、あやまちも、不完全さも、ちゃんと知りつくした上で愛するんだ。いや、それだからこそ いっそう愛するのかもしれない。愛を必要とするのかもしれない。愛を必要とするのは完全な人間じゃない。不完全な人間こそ、愛を必要とするのだ。』
確かにそれはうなづける話だ。私は、自分が常に(足りない)と思っていた時期は、友人も恋人も欲しかった。家族に依存していた時期は、兄弟が出かけた場所に自分もついて回った。しかし、自分の心に目を向けるようになり、例えば、偉人の言葉に触れていくと、(足りない)という感覚が間違っていることに気づいてきた。
ブッダはこう言っている。
ソクラテスならこうだ。
足るを知る者は富む。つまり、(足らない)と思っている人間は、いつまでも外部要因を欲し続け、喉を乾かせる人生を強いられるのである。『完全な人間』というキーワードが出ていて、それに成る人間は皆無だが、しかし、欲している人間よりも、欲さない人間の方がそれに近いことも確かだ。私は完全な人間には一生なれないが、しかし、かつてほど外部に依存しなくなったことが、かれこれ数年以上、例えば恋人で言えば10年はいないことを考えると、オスカーワイルドの言うことの意味は、確かにうなづけてしまうのである。
しかし、前半部分の言葉に私は着目したい。相手だ。相手が不完全である場合、そういう人には愛が必要である。今後、男である私は、愛が欲しい女性と結婚して、愛を注ぎ、それを子孫に繋いでいきたい。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
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