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フランキー『存在することは罪にならねぇ!!!』

たとえ暴力団やマフィア、殺人者や異常犯罪者の子供に生まれたとしても、それだけで”罪”にはならない。確かに、親がそういうカルマを背負っているのであれば、子孫にそれは、連鎖する。由緒正しい伝統の家訓や、皇族のしきたりが伝承されるように、親から子へ、人は命を繋ぎ、ここまでやってきた。精神年齢が低い子供の時代なら、周りにとやかく言われることもあるかもしれない。

 

『あいつの親はヤクザらしいぜ』

 

『あいつの親は、人殺しだ』

 

そういう話は子供のいいネタになる。だが、それだけだ。たったのそれだけ。ネタになるだけだ。『人を憎まず、行いを憎め』。この世に”罪”があるとしたら、それは人ではなく、”行い”なのだ。

 

『ムリよ私は一緒にいるだけで 彼らを傷つける…!!』

『傷つけるのはお前じゃねぇだろ?政府の人間もお前の存在を罪というがどんな凶器を抱えてようともそこにいるだけで罪になるなんて事はねぇ!!存在することは罪にならねぇ!!!』

 

なぜ自分だけがカルマを背負っていると思い、なぜ自分たちはカルマを背負っていないと思うのか。それは、”浅い”からだ。今の平和ボケした時代に生まれた、親の世代など、戦争も体験していない。皆が刀を持ち、打ち首、さらし首、公開斬首刑が行われ、腐敗した死体や、どざえもんがあちこちに転がり、戦では相手の首を切り落としてそれを手土産にした。浮気したら相手を斬ることが許されていた時代すらある歴史の中で、どうして自分の祖先が人を殺していないと言えよう。

 

私は何の宗教にも属すつもりはないが、カルマ(業)の説明を書いたとあるページにはこうある。

『因果応報・自業自得は古代インドの思想だが、仏教は因果応報とそれから生じる輪廻転生(神、人間、畜生、修羅、餓鬼)から解放されること(解脱)を説いた。そんな運命の連鎖など本当は存在しないんだ、そんな宿命にこだわるのは煩悩であり、煩悩を抱く「自分」という意識自体が縁起(相互関係)によって作られた実体のない幻想なんだ(無我)、要するに、運命など気にするな、というのが仏教の教えである。』

 

つまり、、いいカルマ(善業)も、悪いカルマも(悪業)も連鎖しないのだから、自分の親がいくら偉くたって、その七光で自分が偉いと思い違いをするのも、愚かだということ。ましてや、親が”たまたま”負の結果を遺した人間だとしても、それが理由でその子孫が罪人になるわけではない。

 

だが、気をつけなければならないのは、これはあくまでも『実質的』な話で、『表層的』な連鎖は、確実にあるということだ。親はその事実に甘んじて、やりたい放題生きていいわけではないのだ。親として、子孫へ命を繋ぐ責任を果たさなければならない。そして子は、親から受け継がれた環境に屈さず、道を逸れてしまってはならないのだ。祖先とか、環境とか、そういうことを言い訳にせず、自分にしか生きれない人生を、生き貫くだけなのだ。

 

 

Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV

※画像は以下の参考文献から引用しています。

 

一言

この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。