目次

ゾロ『言い訳したらどなたか助けてくれんのか? 死んだらおれはただそこまでの男……!!』

私は20~23歳の頃、mixi全盛期だったころ、よくこの言葉を使っていた。『死ぬ気でやってダメだったら、どっちみち俺はそこまでの人間だったということだ。』のらりくらりと生きる人生にうんざりし始めていた矢先である。そのまま”無難な選択肢”を取り、誰かに”責任転嫁”をし、 “拝金主義”に生き、”場当たり的”に生きていくことの延長線上に、どうしても可能性を見いだせなかったのだ。

 

非生産的で、非合理的な生き方に、魅力を感じなくなっていた。世の中には、目には見えないが確かに存在する、二つのサイクルがある。『悪循環』と、『好循環』である。私が生きていたサイクルは、前述した方だった。言い訳がましくこの世を生きて、何とする。自分の身の回りで起きた出来事は、全て自分の責任である。それが”主体性”だ。

 

かのナポレオンの言葉が胸に突き刺さる。

 

自分の人生の舵を握らなきゃ。そう思い始めたのだ。

 

『災難ってモンはたたみかけるのが世の常だ言い訳したらどなたか助けてくれんのか? 死んだらおれはただそこまでの男……!!』

 

人生は一度きり。慣れ合いはもう十分やった。これ以上やるのであれば、それは”堪能”ではなく、”依存”である。

 

(俺は”依存”するような弱い人間じゃない。)

 

これは、自分の両親が信仰に”依存”して生きるのを間近に見た人間にしかわからない。私はそう叫んだ心の声を見て見ぬふりをしたら、一生後悔すると思ったのだ。そう叫ぶ自分の声を無視したら、もはやそれは自分にしか生きれない人生を、否定することと同じだと思ったのだ。

 

(どうせ死ぬなら、思い切り生きてみよう。それでダメだったら、どっちみち俺はそれまでの男だったいうことだ。やらずにくよくよと後悔するよりは、やって潔く、この世を去ろう。)

 

この一度しかない奇跡の人生を、主体的に生きるべし。

 

『その船を漕いでゆけお前の手で漕いでゆけお前が消えて喜ぶ者にお前のオールを任せるな』

by宙船

 

 

Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV

※画像は以下の参考文献から引用しています。

 

一言

この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。