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フカボシ『過去などいらない!!!ゼロにしてくれ!!!』

人間は、過去に執着して生きていくものだ。 そしてそれは極めて『常識的』として、広がっている概念である。 なぜなら、過去、それは昨日であり、1時間前。 そこには家族や恋人、友人やペットがいた。 それらの愛すべき存在と過ごした時間を、無かったことにする。 そんなことを考える人間などこの世にはいない。 いや、滅多にいない。つまり、中にはいるのだ。 その代表的な人物が、仏教の開祖ブッダである。

 

釈迦(ブッダ)は、29歳の時自分の妻や子供を置いて、旅に出た。その旅の中で悟りを開き、ブッダ(悟りを開いた者)となった。もちろんこれを、現代の『常識的な人』が聞くと、 『は?』 となる。 『妻と子供を置いていなくなった?』 となる。 しかし少ない情報であれこれと決めつけない方が良い。

 

例えば、その子供と妻が、人を何人も殺していたり、 奴隷を性奴隷として凌辱したり、 毎日のように不倫や近親相姦をしていたらどうだろうか。話は変わってくるはずだ。 もちろん、釈迦の家族がそんなことをしたわけではない。 しかし、状況によって、その行動への見方がガラリと変わるということなのである。例えば手塚治虫の『ブッダ』で描かれているのはこうだ。

 

釈迦の妻は、本当に釈迦が愛した人ではなく、政略結婚による相手だった。 そしてどうしても跡取りが必要で、子供をつくった。 しかし、釈迦には愛していた人がいた。 しかし、彼女は『身分の違い』による差別で、釈迦の父親の取り巻きの兵士に目を焼かれて、失明した。 兵士は言った。

『これでもう王子(釈迦)のことを、身分不相応に見ることすらできなくなりましたよ!』

 

それからその野心的な兵士は、王を裏切り、王の座を奪おうと画策した。 しかし、戦争によってあっけなく命を落とした。 釈迦は、その後の人生をどう生きていけばよかったのだろうか。 病気、貧困、差別、怨恨、幾多ものこの世に対しての不信感や疑問が頂点に達したとき、 釈迦は決意したのである。過去をリセットしたい人間の気持ちを、理解できるだろうか。

 

『過去などいらない!!! ゼロにしてくれ!!!』

 

このことについてもっと深く潜って内省したければ、 ヒンズー教のカースト制度に目を向ければいい。 ガンジー ほどの人物は、それを肯定した。それを否定することは、ヒンズー教そのものを否定することになるからだ。 しかしブッダは否定した。目の前で起こる悲劇について、見て見ぬフリすることが出来なかったからである。 過去をリセットしたい人間の気持ちを、理解できるだろうか。

 

 

Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV

※画像は以下の参考文献から引用しています。

 

一言

この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。