名言を自分のものにする

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プレヴォ『宗教は大きな河に似ている。源泉から遠ざかるにつれて、絶え間なく汚染している。』

プレヴォ


フランス小説家 プレヴォ画像


この見解は私と全く同じだ。

 

教えを歪曲させた凡人、偉人が説いた真理

 

全く同じなのである。正直これは、この記事に書いたとおりだ。

 

私は長い間、宗教が嫌いだった。自分の人生に無理やり押し入って心を蹂躙する。そんなもの、意志を持った人間にとっては苦痛の種でしかない。そもそも宗教とは、そういう『苦痛の種』を取り除くためのものではないのか? しかし親を含めた周りはそれを、強要する。

 

長い長い戦いの末、私は辿り着いた。私が嫌いだったのは『宗教』そのものではない。それを汚染させた、人間だったのだ。いや、 人間の弱い心だったのだ。

 

宗教

 

人間は弱い。だからそれ自体はいい。だが、それに甘んじて生きる人生を、私は良しとしない。

 

追記:私は宗教を強要する両親と戦ってきて、17歳の頃に父はクリスチャンのまま死に、死に際に、

『もっとこの信仰を多くの人に知ってもらいたかった。』

 

という遺言を残した。私にとっては極めて複雑な現実なのである。

 

それから16年、この記事から4年の月日が経った。私はこの記事を書いた4年前は、まだ母親に、

『この家はクリスチャンの家だから、従えないなら出ていってもらうしかない。』

 

と言われ、この様な宗教の強要に対する強い憤りを込めた記事を書いたわけだ。しかしそこから4年間、屈することなく私が宗教と母親と真正面からぶつかってきた。

 


孔子

 

孔子

 

ソクラテス

 

ソクラテス

 

ブッダ

 

ブッダ

 

キリスト

 

キリスト

 

世の偉人たちと向き合ってきた。

 

偉人

 

無宗教という理由で、妹のキリスト教系の結婚式にも出なかった。そんな筋金入りの覚悟が伝わったのか、母親は、今までで最も自分のしてきたことが間違いだったという事実に気づき、『もうお兄ちゃんにも宗教を強要しなくなった』と言い、他の家族にもそういうことはしないようになった。

 

ここまで柔軟性が身についたことに、私はまず感慨を覚えている。これまで33年間、正直自分の母親がここまでの境地に辿り着けるとは思っていなかった。だから、私もこの家を出た後は、もう二度と一生家に戻らないつもりでいた。冠婚葬祭も出ないのだから、ほとんど縁を切るつもりだった。

 

だが、同時に考えるのは、私は別に、彼女を精神的に追い込もうとして意見を主張してきたわけではないということだ。私のように、無宗教に生きる覚悟を持つ人間がいる。キリスト教徒以外の50億人は、違う信仰や考え方を持っている。この多様性の現実について、真正面から向き合うべきだと理解させたかっただけだ。

 

まだまだ我々の旅は続く。宗教とは、そんな答えのないたった一度の旅で『目的』を求める人間にそっと差し伸べる、一つの『羅針盤』なのかもしれない。

 

羅針盤

 

 

 

※この文章は全てオーナー独自の『名言を通した見解』です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。

著者:一瀬雄治 (Yuji Ichise)

 

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