『ヒト』を最適化しよう。

『自分の命を最も躍動させる為には、『働く』必要がある。』(2ページ目)

 

 

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ゲーテの言葉

ゲーテは言った。

『仕事の重圧は、いいものだ。それから解放されたとき、心は一段と自由になり、人生はいっそう楽しくなる。仕事もせずに、ただ快適に過ごしている人ほど、みじめなものはない。そんな人には、どんな天の恵みも、ただ不快なだけだろう。』

 

限界効用の逓減

『限界効用の逓減』という概念がある。それは例えば、仕事終わりのビールは美味いが、二杯目、三杯目と味が落ちていく現象のことである。

 

 

伝道者の書 5章

では、次に聖書の『伝道者の書 5章』にあるこの一文を見てみよう。その前に言っておくが、私は無宗教者である。

『見よ。 私がよいと見たこと、好ましいことは、神がその人に許されるいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦のうちに、しあわせを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。

 

実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。 これこそが神の賜物である。こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。』

 

 

私は無宗教者だ。だが、私の両親はクリスチャンだ。この一節は、亡き父親が最も好きだった聖書の言葉だった。それを大切にしたいという気持ちもあって、私はこの一節に妙な違和感を常に抱いていた。言っておくが、私は両親からクリスチャンになることを強要されて育ち、一時は、宗教ごと両親を呪い殺してやろうと思った時期がある人間である。そんな私が『聖書』というキーワードを聞いただけで虫唾が走る人間だったということは、想像にた易いはずである。だが、これは運命だ。クリスチャンの両親の下に生まれた、運命だ。だから私は、せめてこの一節が何を指し示す言葉なのかを、研究したのである。

 

『夏休みの違和感』については、ゲーテのこの記事に書いたが、

 

最初は、『ジムに行ったあと、銭湯に入り、その後皆で食事をする』という実験だった。それはそれは、とても美味しい食事だった。だが、その時はまだ、なぜその食事が美味しくて、いつもの食事とどう違うのかということをよく理解できていなかった。

 

そういう研究が数年続いた時、冒頭に書いた『限界効用の逓減』という経済用語に出合った。私は、その通りだと思った。そしてこの概念は、私が常々研究していた『美味しい食事の謎』と、聖書のその一説に密接に関係している可能性が高いと判断するに至ったのだ。この事実を30年以上クリスチャンを自称する母親に言っても、理解していなかった。もとより彼女らは、『信仰を理解する』という発想をしない。その様な思考の空白と虚無が、敏感だった私に違和感と不信感を与え、溝を深めていったのだ。

 

人間の機能を熟知した神

また、聖書の話で言うなら、早稲田大学商学部を卒業後、様々な経歴を経て、クリスチャン女性の国際的なグループ『Aglow International(アグロー・インターナショナル)』に所属する中村芳子の著書、『聖書88の言葉』にはこうある。

7日のうち1日は完全に休む。体のため、心のため、自分のため、家族のため

休む=怠ける=良くないこと、という考えが日本では根強い。風邪で熱を出しても解熱剤を飲んで出社すべきだと思い込んでいる人もいる。うつるから実は迷惑なのだけど。

 

そこへくると聖書の価値観は大きく違う。週7日のうち1日は、働いてはいけない日だ。1週間が7日からなるのは、『創世記』1章の天地創造に由来している。1日目、神は『光あれ』と光を創った。そして空、大地、海、植物を創り、太陽、月、星を創り、魚と鳥を創り、動物と人間を創った。

 

創世記

 

6日でその仕事を終え7日目に休んだ。これが1週間の始まり。

 

神がモーセを通して与えた十戒の4番目が『週の7日目は仕事をしてはならない』だ。ユダヤ人がこれを守り、キリスト教徒が引き継いだ(本来は土曜日だ)。人間の設計者であり製造責任者である神は、人間の機能を熟知している。7日のうち1日を完全に休まないと、体や心が壊れ、機能に異常をきたすことを知っていた。個人としての人間だけなく、家族の機能にも障害が起きて来る。

 

『聖書』

安息日を心に留め、これを聖別せよ。6日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、7日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。(出エジプト記20:8-10)

 

ここでいう『神』と『光あれ』についてはひとまず置いておいて、着目するべきなのは、やはりこれらが『限界効用の逓減』についての説明になっている事実についてである。また、『人間の機能』という事実についても的を外していない。本当に、人間は仕事終わりに飲む一杯目のビールと、二杯目、三杯目のビールの味を、同じ価値として感じることができないのだ。人間の心身を、命を最大限に躍動させる為には、7日間休むだけの生活でも、7日間働くだけの生活でも、駄目なのだ。

 

足るを知る者は富む

その後私は、ブッダの言葉の超訳として、この様な記事を書いた。

ブッダ

 

点と点とが繋がって、線になっていく。私は完全に理解した。なぜ人間は、働かなければならないのか、という論理的な理由を。

 

ある日私は、経済的にもある程度の成功をし、年齢も80歳という大台を超えた、『人生の大先輩』であるはずの私の祖母に、こんな質問をしたことがある。

『何で仕事をしなければならないのか、ということが、そもそもの疑問だ。』

 

すると祖母はそれについて、鼻で笑うように、勢いで誤魔化すように、まるでそれ以上この疑問に対して掘り下げさせないように、こう答えたのだ。

『そんなの、働かなきゃだめに決まってるじゃん!』

 

祖母と私では、『掘った深さ』が違ったようだ。その後私は祖母に何かを相談することは無くなった。つまり私は、(この分野においては、としておくが)『祖母が』私に相談するべき事実を確信したのである。

 

ここには2つの事実が存在している。1つは、祖母は戦中、戦後を生き抜いた人間であり、『仕事があるだけで有難い』という感覚の中人生を生きた結果、そのような発想を持つことになり、そのことについて、戦争を知らない私が意見をする資格はないということ。そしてもう1つは、だからといってその発想に甘んじていたら、これらの真理には永久に辿り着かないということだ。

 

だが、理論では理解出来なくても、きっと祖母は『美味しい食事とそうでない食事がある』事実を何度もその人生で感じてきたはずであり、だとしたらこれらの真理にはしっかりと接触しているわけだ。それは、祖母のこんな一言からも浮き彫りになる、間違いようのない事実である。

 

『体動かしたあとは、ご飯が美味しいでしょ!ね!』

 

つまり、これらの真理は、『ある』

 

 

 

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