『ヒト』を最適化しよう。

『人の評価に依存することの愚かさを知れ。依存しないなら強い。』(2ページ目)

 

 

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更なる詳細を追求する

 

ハロー効果

米国を代表する社会心理学者の一人、ロバート・B・チャルディーニの著書、『影響力の武器』にはこうある。

外見の魅力

 

外見の良い人の方が他者との付き合いで有利になるというのは一般によく知られていることですが、最近の研究によれば、どうも私たちはその効果の大きさと影響が及ぶ範囲をかなり過小評価していたようです。魅力的な人に大しては、カチッ、サー反応が生じるらしいのです。全てのカチッ、サー反応と同じように、それは将来への慎重な配慮も無く、自動的に起こります。反応それ自体は、社会学科学者がハロー効果と呼んでいるカテゴリーに入ります。

 

ハロー効果というのは、ある人が望ましい特徴を一つもっていることによって、その人に対する他者の味方が大きく影響を受けることを言います。身体的魅力がしばしばそのような特徴として作用することは、今や多くの証拠から明らかになっています。これまでの研究によると、私たちには、外見の良い人は、才能、親切心、誠実さ、知性といった望ましい特徴をもっていると自動的に考えてしまう傾向があります。

 

記憶のバイアス

また、ノーベル経済学賞を受賞した、フランスの心理学者、ダニエル・カーネマンの著書、『ダニエル・カーネマン 心理と経済を語る』にはこうある。

過去に学ぶ

 

消費者の選択には、たとえば馴染みのメニューのあるレストランに行くときのように、すでにしたことのある経験を含むものも多い。そうした場合、選好や快楽予測は、個人的な記憶から情報を得ているから、絶対正確なはずだと思われる。実際、お馴染みのメニューから選択する場合、快楽予測が大きく外れてびっくりするということは少ない。しかし、以前たまたま経験したことがある事柄の評価に基づく快楽予測は、もしその記憶にバイアスがかかっていた場合、やはり偏ったものになるだろう。

 

そうした記憶効用(rememberd utility)のバイアスの源がいくつか確認されている。言有りの予測と同じように過去の評価も、その評価が下されたときのその人の感情の状態に縛られている。また、そこから派生した結果についての全体的評価は、その経験のある部分を体系的に重視し過ぎ、それ以外の部分を軽視しすぎる。こうしたバイアスが効用の最大化を阻害することには、なかなか逆らえない。

 

バイアス

 

つまり、このハロー効果を含めた一切のバイアス(先入観、思い込み)に囚われている人間がこの世にいる以上、『他の評価』など、まるで虚ろだ。彼らは状況に反応して行動している。従って、状況が一転すればコロッと態度を変えるだろう。

 

四聖の共通点

例えば、かの『四聖』に数えられる、

 

孔子

孔子

ソクラテス

ソクラテス

ブッダ

ブッダ

キリストには共通点があり、

キリスト

それは、

 

  1. 親の職業を継がなかったこと
  2. 伝統的なしきたりや体制を改革しようとしたこと
  3. 人一倍の努力家であったこと
  4. 確固とした信念を持ちそれを貫いたこと
  5. 見据えた的の規模が大きすぎて周囲の理解が追いつかなかったこと

 

というものだった。そして孔子は、今でこそ中国を代表する大学者や聖人とされているが、同時代人の多くからは、出来もしないことをしようとしている、身の程知らずや物好き扱いされていた(憲門第十四-四十)。ブッダも、カースト制度を否定したことで、バラモン教から白い目を向けられていた。ソクラテスやキリストなど、無実の罪で処刑されているのだ。

 

ゲーテは言った。

 

人間とはそういうものだ。大勢の意見が『黒』でまとまっているとき、たった一人の人間が『白』と言えば、たとえそれが真実であっても『白』の方を隠蔽し、それを主張する人間を異端児扱いする。その方が『楽』だし、そうすることで、自分たちの居心地が脅かされないと考えるからだ。

 

デカルトの方法序説

デカルトが書いた、理性を正しく導き、学問において真理を探究する為の著書、『方法序説』にはこうある。

またその後、旅をして、次のことを認めていった。わたしたちとまったく反対の意見をもつすべての人が、それゆえに野蛮で未開だというわけでなく、それどころか、多くの人がわたしたちと同じかそれ以上に、理性を働かせていることだ。

 

そして考えた。同じ精神を具えた同じ一人の人間でも、子供の時からフランス人やドイツ人のあいだで育てられると、中国人や人食い人種のなかでずっと生活してきたのとは、どんなに違った人間になることか。そしてわたしたちの服装の流行においてまで、十年前に気に入っていて、また十年もしないうちに気に入るかもしれない同じものが、今どれほど突飛でこっけいに見えることか。

 

結局のところ、習慣や実例のほうが、どんな確実な知識よりもわたしたちを納得させているが、それにもかかわらず、少しでも発見しにくい真理については、ただ一人の人がそういう真理を見つけ出したというほうが、国中の人が見つけ出したというより、はるかに真らしいから、賛成の数が多いといっても何ひとつ価値のある証拠にはならない。

 

多くの意見が一致しているからと言って、=真実という図式は成り立たない。

 

大衆の見識

マキャベリの著書、『君主論』にはこうある。

総じて人間は、手にとって触れるよりも、目で見たことだけで判断してしまう。なぜなら、見るのはだれにでもできるが、じかに触れるのは、少数の人にしか許されないからだ。そこで、人はみな外見だけであなたを知り、ごくわずかな人しかじっさいにあなたと接触できない。

 

しかも、この少数の者は、国の尊厳に守られている大多数の人々の意見に、あえて異を唱えようとはしない。そのうえ、すべての人々の行動について、まして君主の行動について、召喚できる裁判所はないわけで、人はただ結末だけで見てしまうことになる。

 

だから、君主は戦いに勝ち、そしてひたすら国を維持してほしい。そうすれば、彼のとった手段は、常に立派と評価され、だれからももてはやされる。大衆は常に、外見だけを見て、また出来事の結果によって、判断してしまうものだ。しかも、世の中にいるのは大衆ばかりだ。大多数の人が拠り所をもってしまえば、少数の者がそこに割り込む余地はない。

 

大衆

 

子供の意見が間違っていることがあるように、『間違っている意見を持っている人がいる』という認識を持つことが重要だ。『一見して大人』だからといって、その人が『大人(識者)』であるとは限らない。

 

ソクラテスと大衆

新國稔秧の著書、『ソクラテスの言葉』にはこうある。

君と僕との獄中対話『クリトン』

 

(ソクラテスが無実の罪で処刑されようという中、友人のクリトンは獄中にてソクラテスに、裁判員の人々の反感を買わないように振る舞うよう説得していた。)

 

『ちょっと待ってくれ、クリトン。どうして君は、そんなに世間の評判が気になるのだ?むしろ大切なのは、それよりも優れた人が、どのように思うかだよ。立派な人なら、本当のことを、わかってくれるよ。』

 

『しかしねぇ、ソクラテス。世間の評判というのも、無視できないよ。君がいま鎖に繋がれているこの事件だって、世間からの君への悪気からはじまったのだ。世間や大衆など、こんなやつらはね、どんな大きな悪事でも作り出すものなのだ。』

 

『いやいや、君の言っていることは、正しいとは思えないね。大衆が悪事を作るのなら、大衆は善いものを作り出せることになるよ。そうであればいいのだが、大衆には、そんなことはできないね。なぜなら、大衆は賢かったり、ばかだったりすることがないからだ。大衆とは、いつも偶然と気まぐれに振り回され、わあわあ騒ぐ、まったく、いい加減なやつらなのだ。大衆は人々のかたまりだからね。』

 

 

ソクラテスの挑発に乗って『死刑』に票を入れてしまった大衆は、無実の人間を殺した。果たして、大衆に『意志』はあるだろうか。そして、大衆の意見に耳を傾ける価値はどれぐらいあるだろうか。

 

会衆、モッブ、パニック

また、『会衆、モッブ、パニック』という集団心理について考えてみたとき、『会衆』とは、受動的な関心で集まった人達の事。『モッブ』とは、強い感情に支配された集団の事で、暴動が起きるケースなどにあたる。『パニック』は、突発的な危険に遭遇して、群衆全体が混乱に陥ることであるが、ここで挙げられている人間の精神状態に、『主体性』はあるだろうか。

 

 

十戒を刻んだ二枚の石板

京都大学を首席で卒業し、通産省を経て弁護士になり、ハーバード大学ロースクール、ペンシルバニア大学ロースクール修士課程卒業等の経歴を持つ、石角完爾の著書、『ユダヤの『生き延びる智慧』に学べ』にはこうある。

ヘブライ聖書には後世に色々な注解書が作られているが、その一つに『メ・アム・ロエズ』という17世紀のトルコで編纂されたものがある。この注釈書は、二つの十戒の石板の物語がいわんとする哲学について、次のように説いている。

 

『人の人生において重要で、そして永続するものは、ひっそりと人々が汗を流して成し遂げられたものであることが多い。ファンファーレ、赤絨毯、人々の注目を浴びた評判のあるものは永続しないことが多い。我々は物事の外側に輝くその輝きと、有名であるということから、その物事の価値を判断してはならない。物語が永続する価値を持つということは、時として密かに隠されて小さく、人々が気づかない精神的な洞察であることが多いのである。』

 

この哲学を現代の日本の生活に即して、私なりに説明してみよう。

 

『有名な人のいうことは信用するな。テレビで流されていることは信用するな。何十万部も売れている本や新聞、雑誌に書かれていることは読む価値すらない。インターネット上でフォロワーが多いということはすなわち価値がない』

 

ということである。

 

愛

 

まあ私はここまできつい口調で言うわけではない。だが、この著者の口調は常に厳しいのだが、的を外していない。『フッパー』という概念があり、彼はユダヤ教徒としてそれに従っているだけなのだ。間違っていることは間違っていると、例え相手が上官であろうと自分の意見を述べて反論し、議論して最良の方法を求める。私も、『良質』を紐解くために避けて通れない15のトピックという記事を書いていることからもわかるように、大多数の意見が一致している=正論であるという図式は全く信頼していない。

 

『思考』は『知識』にだまされる

日本でもっとも多くの支持を得る個人ブロガー、ちきりんの著書、『自分アタマで考えよう』にはこうある。

『思考』は『知識』にだまされる

 

Aさんは日本のプロ野球についていろいろ知っているので、プロ野球ファンの年齢構成の変化についてデータを見たとたんに、さまざまな『知識』を自分の頭の中から無意識に引っ張り出してきています。

 

『日本のプロ野球界は、変革を嫌う超保守的な人たちが牛耳っている』『最近はテレビ放映もめっきり減ってしまった』『いい選手はみんだ大リーグに移籍してしまった』などの知識を、頭の中から出してくるのです。

 

野球

 

そして、それらの知識に基づいて、今見たデータを自分の知識に合うように解釈し、『ほら、やっぱり日本のプロ野球界の未来は暗い!』と断じてしまっています。だからファンの高齢化という、それ自体いいとも悪いともいえない数字から、『悪いこと』だけを抽出してしまうのです。これは思考ではなく、知識による思い込みです。

 

しかもやっかいなことに、多くの場合、Aさんがもっているのは正しい知識です。正しいから誰も否定できません。でも、たとえ正しくても、それは知識であって思考ではないのです。

 

『確証バイアス』とは、自分に都合のいい情報だけあつめて、自己の先入観を補強しようとする心理のことである。人間はこのバイアス(先入観)に自分の思考を支配されていて、真実を見誤りやすい性質を持っているのだ。

 

バンドワゴン効果

バイアスの話はまだまだたくさんある。『経済の裏がわかる人間心理127の仕組み』にはこうある。

多数の人と同じ行動をとってしまう『バンドワゴン効果』の謎

 

バラエティ番組を観ていると、出演者のリアクションに観客が歓声を上げたり、わたらったりする声が流れてくる。あるいは、スタッフの笑い声が入っていることもある。あまり集中して見ていなかったときでも、笑い声につられてつい画面に目をやってしまったり、ときには、さほど面白くない場面でも笑い声が流れたときには、(なんでここで笑うんだろう)と首をかしげることもある。

 

(中略)しかしこの笑い声、送り手側にとっては重要な要素なのだ。スタジオの空気をリアルに伝えるだけでなく、『バンドワゴン効果』を狙っているのである。(中略)通販番組で『へえ~』という感嘆や、『ええーっ』という驚きの声が入るのも同じ理由からである。こうした声は、消費者の好奇心を何倍にも高める効果的な心理作戦だったわけである。』

 

つまり、バンドワゴン効果を狙って『さくら』を用意したとしよう。

 

行列の並んだあのラーメン屋は、きっと美味いんだろうなあ…

 

と人々は思うかもしれない。だが、実際は『さくら』だ。

 

『真』だと感じる『偽』の記憶

東京大学大学院教授、池谷祐二の著書、『脳と心のしくみ』にはこうある。

『真』だと感じる『偽』の記憶

 

脳研究によって、視覚や記憶は私達が思っているほど確実なものではないことがわかっている。特に私たちが『見た』と思っている記憶には、気を付けた方がいい。たとえば、好きだった相手に、10年ぶりに再会したら、イメージが違っていたという経験はないだろうか。

 

私たちは過去の思い出を自分の都合がいいように変更してしまうところがある。アメリカでは、DNA鑑定が導入されたことで冤罪が判明した最初の250人のうち、約75%は誤った目撃証言による被害者だったという。つまり脳は嘘をつくのだ。

 

脳

 

これでもまだ人間の認識力を信用するというのなら、『伝言ゲーム』を思い出すと良いだろう。

 

自分の『ものさし』で生きる

2006年に『ニューズウィーク』誌日本版にて『世界が尊敬する日本人100人』に選出された、曹洞宗徳雄山建功寺住職、増野俊明の著書、『心配事の9割は起こらない』にはこうある。

自分の『ものさし』で生きる

 

常識は守るべきもの。それは大原則ですが、ともすると、常識にこだわるあまり、自分らしさがなくなる、ということにもなるような気がします。常識に縛られ、自由な発想ができない、自由にふるまえない、心が窮屈になる…。そんな風に常識が手枷、足枷になっている、と感じたことはありませんか?

 

常識から自由になって、でも道を誤らないで生きるには、自分の『ものさし』を持つことが必要です。根底には常識というものを感じながら、ときにそれにこだわらないで自分独自の判断をする指針、ものごとを自分流に解釈するよりどころ。『ものさし』とはそういうものだと思います。

 

人の評価などに支配されて自由を奪われてはならない。

 

相手との人格的な境界線

複数の会社を経営する『お金の専門家』、本田健の著書、『ユダヤ人大富豪の教え』にはこうある。

『それはね、周りからの批判や反対の本質を知ることなんだよ。まず最初に、批判は、単にその人が物事をどう考えているのかという意見表明に過ぎないということだ。君の価値とは全く関係がない。』

 

『でも、ついつい個人的にとってしまいますよね』

 

『それは、人間が弱いからだ。相手との人格的な境界線がしっかりしていれば、そんなことは起こらない』

 

『色眼鏡』をはずし『本物』を見る

新渡戸稲造の著書、『自分をもっと深く掘れ!』にはこうある。

『色眼鏡』をはずし『本物』を見る

 

(省略)たとえば、ある評論で私が非常な野心家とされたとする。これを信ずる人は、彼は野心家である、ともに語るに足る、ともに事をなすに足ると思うし、そんな考えで私と交わりを結ぶ人もあろう。そういう人は私と会見すればたちまちに失望して、

『おれを欺いたな』

 

と思う。しかしその実、私が欺いたのではなく、批評家に欺かれたのである。なかにはまた、私が君子のように厳格な人間と思って、大いに尊敬をもって近づく人がある。そういう人にははなはだ気の毒ながら、5分間の会話を終わらぬ間に、私が君子でもなく、厳格な大人でもなく、ごく平凡な老書生であることがわかる。そうするとこの人は、私を見て化けの皮を剥いてやったとか、私を看破したとか、あるいは今までに私のために欺かれていたとか、すべての罪を私に着せてしまう。

 

また批評家の中には私を非常な才人のように、また学識深淵のように称する者もある。まことにありがたいことであるが、いずれも当を得ていない。こんなふうに思って近づく人は、会ってみると欺かれたと思うだろう。これは欺かれたことには相違ないが、私が欺いたのではなく、私を批評する人が欺いたのか、もしくはその批評を軽々しく信じた者が、自ら欺いたのである。

 

世間の評判を鵜呑みにせず、自分で確認する

儒教、仏教、道教を深く学び、足りない部分を補って創り上げた、洪自誠(こうじせい)の著書であり、川上哲治田中角栄五島慶太吉川栄治ら昭和の巨人たちの座右の書である、『中国古典の知恵に学ぶ 菜根譚』にはこうある。

世間の評判を鵜呑みにせず、自分で確認する

 

他人の悪い評判を聞いても、すぐにその人を悪と決めつけたりしてはいけない。評判が、その人を免れるための策略であるのか、事実なのかを自分の目で確かめてから判断すること。同様に、他人のよい評判を聞いても、それをすぐ信じて親しく付き合ったりしてはいけない。その噂が、心の曲がった人間が自分をよく見せようとしてたくらんだことなのか、事実なのかを確認してから判断すること。

 

人の言葉を軽信してはいけない

慶応義塾大学を卒業し、慶應義塾高校で教職に就き、同校生徒のアンケートで最も人気のある授業をする先生として親しまれた佐久協の著書、『論語の教え』にはこうある。

世間の大多数が、悪人だと言う時も、必ず自分で真相を確かめてみるべきだ。世間の大多数が善人だと言っている時も同じことだよ。

 

福沢諭吉は、徳川時代の武士や町人が上意下達で、自らの意見や自己決定権を放棄して生きていた反省から、自らの意見と価値判断を堅持する市民を育て上げることを使命として教育事業に乗り出した。いわゆる独立自尊の市民の育成である。明治政府も初期には氏の主張に賛同していた。ところが、明治14年に北海道の官有物の払い下げの疑獄事件が持ち上がると、私学出身者が多数を占めていた役人が一斉に政府批判の声を上げた。これに泡を食った政府は、明治19年に『帝国大学令』を発布して、それまでの教育方針を180度変更し、東京帝国大学を中心に据えて、守秘義務を第一とする役人の養成に乗り出した。

 

(中略)孔子は、『人の言葉を軽信してはいけない』とクギを刺し、同時に、『誰が言った言葉であっても、正論には耳を傾けよ』とも強調しているのだ。

 

『正論』に耳を傾けるのはいい。あくまでも、『正論』には。

 

自らの意志にとらわれ、自由を失ってしまう人

数々の偉人の人生を研究する、上智大学名誉教授、渡部昇一の著書、『エマソン 運命を味方にする人生論』にはこうある。

自らの意志にとらわれ、自由を失ってしまう人

 

エマーソンはこの言葉に続けて次のように言っています。

『大人は自らの意識によってとらわれている。一度でもその言動が世間の喝さいを浴びると、とたんに彼は囚人となる。その結果、何百人の人々の共感や敵意によって監視されなければならない。彼のほうも、これらの人々の感情を考慮にいれなければならなくなってしまう』

 

自分は『囚人』?それとも『自由人』?さて、どちらだと断言できるだろうか。

 

不満と失意が生む被害妄想

ナチスの強制収容所に収監され、人間の想像を絶する3年間を過ごしたドイツの心理学者、ヴィクトール・E・フランクルの著書、『夜と霧』にはこうある。

精神的な抑圧から急に解放された人間を脅かすこの心の変形とならんで、人格を損ない、傷つけ、ゆがめるおそれのある深刻な体験があとふたつある。自由を得てもとの暮らしにもどった人間の不満と失意だ。

 

不満の原因は、収容所を解放された者が、もとの生活圏で世間と接触して引き起こされる、さまざまなことである。つまり、ふるさとに帰ってきて気づくのは、そこかしこで会う人たちが、せいぜい肩をすくめるか、おざなりの言葉をかけてくるかだ、ということだ。すると、彼の不満は膨れ上がり、いったいなんのために自分はあのすべてを耐え忍んだのだ、という懐疑に悩まされることになる。どこに行っても、『何にも知らなかったもんで…』とか、『こっちも大変だったんですよ』とかの決まり文句を聞かされると、自分に向かってそんなことしか言えないのか、と考え込んでしまうのだ。

 

 

この例は異例中の異例だ。注意深く考えなければならない。だが、忘れてはならないのは、『異例中の異例なのだから、その異例の心の状態を周囲が把握することは容易ではない』という視点なのだ。

 

『匠』と『代理店』

また、『良質』を紐解くために避けて通れない15のトピックにも書いた、『匠』と『代理店』はこうだ。

例えば『匠』がいる。そしてある『代理店』の人間は言った。  『私は地方を回り、あることに気が付きました。美味しい物を作る店が、必ずしも繁盛しているとは限らない。』その店は、 『繁盛したら、良質になる』 のだろうか。 それとも、 『繁盛する前から、良質だった』 のだろうか。

 

『孫悟空』と『ミスター・サタン』

『孫悟空』と『ミスター・サタン』はこうだ。

『ドラゴンボール』の『孫悟空』は地球人にぞんざいに扱われ、『ミスター・サタン』がスターの扱いを受けていた。 普通、『低品質』であれば、ぞんざいに扱われ、『高品質』であれば、大切に扱われる。多くの人にスター扱いされていたミスター・サタンは『良質』?それとも、見えないところで地球人の為に闘っていた孫悟空が『良質』?

 

人間の評価というのは、本当に常に模範的で、正確なのだろうか。

 

『ワンピース』と『ブッダ』

また、ある日私は『ワンピース』の『STRONG WORDS』について記事を書いていた。するとこういう書き込みがあった。

『さすがに中二病が過ぎる』

 

そしてまたある日私は、

 

ブッダ

ブッダ

 

に関する記事を書いていた。するとこういう書き込みがあった。

『いつも大変勉強になっています。』

 

それらの記事の間隔はせいぜい半年ほどだ。だが、人々はワンピースの記事を真面目に書いている私を『中二病』だと評価し、ブッダの記事を真面目に書いている私を『先生』と評価した。人間の評価というのは、本当に常に模範的で、正確なのだろうか。

 

ガリレオと天動説

例えば、ガリレオコペルニクスが『地動説』を説くまでは、キリスト教で信じられていた『天動説』が常識だった。

 

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しかし真実は、『地動説』に近かったわけで、

 

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地球も太陽も、宇宙の真ん中ではなかったのだ。しかし、この時代の人間は、『天動説を信じていた(間違った事実を、真実だと勘違いしていた)』のである。人間の認識など、当てにならない。唯一規範にするべきなのは、『真理(いついかなるときも絶対不変として姿形を変えないもの)』である。更に厳密に言うと、現在真理だと思われているものに、依存してはならない。

 

『偉大であるということは誤解されるということだ。』

エマーソンは言った。

Pythagoras was misunderstood, and Socrates and Jesus, and Luther, and Copernicus, and Galileo, and Newton, and every pure and wise spirit that ever took flesh. To be great is to be misunderstood….

(誤解されるのはそんなに悪いことだろうか。ピタゴラスは誤解された。 ソクラテスイエスルターコペルニクスガリレオ、 そして、ニュートンも誤解された。古今のあらゆる清純で賢明な魂も誤解を受けた。 偉大であるということは誤解されるということだ。)

 

周囲の人に理解されない?その『周囲』とは、一体誰のことだろうか?

 

 

 

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