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『真の法律、仁義、道徳、倫理、大道といったものは、まるで、地球を囲む大気圏だ。その一線を超えたら、人は、人でなくなってしまう。』

意味

大気圏というのは、地球を覆っている大気が存在する部分のことだ。単純に考えて、その大気圏から外に出てしまうと宇宙に飛び出ることになり、そこには酸素が存在していない。従って、人間はそこでは酸素ボンベつきかなにかの宇宙服を着ていない限り、息をすることが出来ないから、すぐに死んでしまうのである。

 

つまり、人間ではなくなってしまう。死骸となってしまうわけだ。この場合、『死んだ場合は人として数えない』という淡々とした考え方をしているだけで、死者に対する冒涜的な意味ではない。ただ単に、人として生息が不可能になる、ということを言いたいのである。

 

だが、『行こうと思えば行ける』わけだ。この感覚が、私は『真の法律、仁義、道徳、倫理、大道』といった範囲の中で暮らそうとする人間と、瓜二つであるという風に感じた。つまり、それらの範囲外に行こうと思えば行ける。それも、子供でも誰でも、簡単にその範囲は超えられるようになっている。しかし、愛のある大人たちがそれを子供に諭す。

 

『その範囲を超えてしまってはいけないよ。』

 

例えば、『人に迷惑をかけることだけはしてはならないよ。』など、そういう助言をすることがある。だが、『行こうと思えば行ける』わけだ。だからこそ、この世を見渡せば子供だろうが誰だろうが、その範囲を超えてしまっている事実がまかり通っているのである。

 

普通、『大勢の人がまかり通らせていること』、『大勢の人の中で常識とされていること』、当たり前とされていることは、『正しいこと』であるという考え方がある。まるで『答え』かのような正当性があり、何人もその正当性を主張する権利があり、そこには他人が介入できないような印象がある。

 

だが、もしこの、

『真の法律、仁義、道徳、倫理、大道といったものは、まるで、地球を囲む大気圏だ。その一線を超えたら、人は、人でなくなってしまう。』

 

という発想があれば、人々はより一層のその『範囲』について、熟考するようになるだろう。

 

『法律』ではなく『真の法律』としているところに疑問を覚えるなら、

 

と言ったソクラテスの生き様を考えるのがいいだろう。ソクラテスは無実の罪なのに、法律がそう定めているからという理由で、処刑されたのだ。

 

 

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『どれだけ生きるかではなく、いかに生きるかが重要なのだ。』

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