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もし地球が平面なら人は『上と下と横』に何があると考えたかわかるだろうか?

バックミンスター・フラーの著書、『クリティカル・パス―宇宙船地球号のデザインサイエンス革命 』にはこうある。

チンギス・ハーンやアレクサンダー大王やローマ皇帝の帝国など、16世紀以前の帝国はどれも、地球は平板であるという概念に依拠して、『大地の真ん中の海』を意味する地中海のまわりに中心を置いた文明を形成した。アレクサンダー大王やカエサルやサラディンの時代には、人々はみんな世界は平面であると考えていたし、今日でもまだ『やさしい基本平面幾何学』が初心者用の教材として使われているのである。

 

まずは地球平面説だ。ソクラテス以前の哲学者はほとんどが地球平面説を維持していた。紀元前330年頃にアリストテレスが経験的見地から地球球体説を採用し、それ以降ヘレニズム時代以降まで地球球体説が徐々に広がり始めた。しかし、アレクサンダー大王は紀元前300年代、チンギス・ハーン1200年代の人間であり、チンギス・ハーンともなるともうアリストテレスのそれから1000年以上経つのにまだ、

 

地球は平面である

 

と考えていたのである。人が『地球の果て』という言い方を未だにしてしまうのは、このときの名残である。

 

 

MEMO

4頭の巨大な象の背中に乗っており、象はさらに大きな亀の背中に乗っているのはフィクションでよく想像された世界観である。

 

さて、次に見るべきなのは以下の内容である。

絵文字に記録され始めた文明の黎明期には、ワットは海の神、空の神のほかに地下の神を含んでいた。火山の火や煙、溶岩はよく知られていたが、それは『上へ登る』現象がどこでも主に、最高位の神のいる穏やかな青い天国へと向かっていくことであるのと同じように、『下へ降りる』ことは水平に広がる世界の平面を通り過ぎて、硫黄と火の地獄の世界へと降りていくことを示していた。

 

多くの人が『天国と地獄』と聞くと、天国=『天使が空を飛んでいて、雲があり、光り輝く様』を思い描き、地獄=『溶岩がぐつぐつと燃えていて、鬼がいる地下世界』を想像する。では一体、なぜそのような発想が生まれるようになったのか。なぜ悪魔が上から降りてくるのではなく、下にいたり、天国となると上になるのだろうか。

 

 

それは例えばこういう解釈があったはずである。まずこのようにして地球が平面であることが前提だった。地球が球体だと証明したコロンブスマゼランも1500年前後の人間だから、それ以前の人々はその地球平面説に疑問は持たなかったわけだ。そして、『上にある太陽』は人々や地球の生命に生きるエネルギーを与えるが、『下にあるマグマ』は人を殺し、生命を生かさない。人の上に立つ者は上から大勢の人に指示をし、人の道に逸れた者は地面にひれ伏して人を見上げる。

 

つまり、『上』には『優秀な人間』しか行くことができず、『下』には『無能な人間』が相応しいという考え方があり、このような条件がいくつも重なって、『上にある天国』、『下にある地獄』が想像された。天国に雲があって天使が空を飛び、地獄に溶岩があるイメージは、地球平面説がベースとなっているから想像されたはずである。

 

 

本にはこうもある。

それが意味していることは、帝国の『内側』には、私たちが文明と呼んでいるものが存在し、一方、その『外側』には、けものや邪悪なものが生息している荒野が始まり、さらにその外側には竜がいて、さらにその彼方にはどこまでも平らな無限の平面が続いているということなのである。

 

上のイラストだと平面の地球の『横』には限界があり、そのうち下に落ちてしまうことになるが、当時イメージされていたのはそうではなく『無限』で、ずっとその平面を外へ外へと進んでいくと、見たことがない、あるいは噂で聞くような『魔物』がいたり、『』がいたりする世界が広がっていると考えた。

 

帝国⇒けものや邪悪なもの生息する荒野⇒竜がいる地帯⇒無限の平面

 

[「九龍図巻」陳容画(南宋)、ボストン美術館蔵]

 

  • 上:天使が空を飛ぶ天国
  • 横:魔物や竜がいる異世界
  • 下:鬼と溶岩がある地獄

 

しかし、現在を生きる人々がこのような世界を想像したり、信じたりすることがあるだろうか。もし『ない』のであれば、なぜ彼らはこのような想像をしたかわかるだろうか?

 

 

参考文献

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