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弥生時代はいつから(なぜ境界線が曖昧なの)?弥生人の大元は何人(縄文人との違いは)?

『弥生時代』

縄文時代(新石器時代)にあった『縄文文化』は世界四大文明と並べて考えるべき高度な文明

 

上記の記事の続きだ。その記事にも書いたが、こうして縄文時代は1万6千年前あたりから始まり、次の『弥生時代』へと変わっていくわkだ。しかし下記の表を見てもわかるように、縄文時代と次の時代の弥生時代の間には700年以上の間がある。この時代は一体何があったのだろうか。

 

旧石器時代 ~約1万6000年前
縄文時代(新石器時代) 約1万6000年~紀元前10世紀頃(約3000年前)
弥生時代 紀元前300年頃(約2300年前)~250年頃

 

これはなんか『空白の時代』とかそういう謎めいたことではなく、単純に『いつからを弥生時代としていいかわからない』という迷いがあるからである。断言できないからこういうつじつまの合わない数字になっているのだ。少し前までは紀元前5世紀頃からが弥生時代と考えられてきたが、それが実は『紀元前10世紀からだ』とかそういう話になってきていて、とにかく分かっているのは縄文時代がこのあたりの時期で、弥生時代がこのあたりから始まるという漠然としたことなのである。

 

だが、それぞれの時代の特徴というものがある。

 

各時代の特徴

旧石器時代 打製石器の使用、洞窟等での移動生活、狩猟採集生活
縄文時代(新石器時代) 縄文土器、磨製石器の使用、狩猟採集+栽培漁労生活
弥生時代 弥生土器、金属器の使用、稲作の開始、身分差の発生

 

この特徴に当てはめながら時代の定義を考えると、紀元前4世紀頃から弥生土器が作られ、更に同時期に大陸から九州に稲作が伝わったことから『紀元前4世紀(紀元前300年代)』に縄文時代が終わり、弥生時代が始まったと考えられていたが、佐賀県の名畑遺跡、福岡県の板付遺跡などが発見されたことにより、それよりも更に100年前の『紀元前5世紀』が弥生時代の始まりなのではないかという見解がある。

 

[弥生時代の稲作(国立科学博物館展示の模型)。]


参考
弥生時代Wikipedia

 

『弥生時代の始まりは稲作開始と同時』という考え方があるので、弥生時代をいつからとするかは微妙なところなのである。そもそも弥生時代とは、弥生式土器が使われている時代という意味であった。ところが、

 

弥生式土器には米、あるいは水稲農耕技術体系が伴うはずだ!

 

という声が出てくるようになり、

 

弥生時代とは、水稲農耕による食料生産に基礎を置く農耕社会であって、前段階である縄文時代(狩猟採集社会)とはこの点で区別されるべきだ!

 

とする考え方が主流になっていった。現在では、水稲農耕技術を安定的に受容した段階以降を弥生時代とするという考えが定着しているが、弥生時代前期前半より以前に水稲農耕技術を伴う社会が成立していたとされ、従来縄文時代晩期後半とされてきたこの段階について、近年ではこれを弥生時代早期と呼ぶようになりつつある。

 

縄文時代晩期後半 紀元前10~紀元前4世紀頃
弥生時代早期 紀元前10~紀元前8世紀頃

 

つまり、縄文時代にも稲作をしていたのだが、それが安定的に行ったとか、なんだとかという細かい理由を考えていくと、ハッキリと条件が揃ったと言えるのが『紀元前5世紀頃』だということなのだ。そのあたりになればようやく学者たちが、

 

ふむ。紀元前5世紀頃なら弥生時代という新しい段階に入ったと言えるだろう。

 

と納得するということなのである。ちなみに弥生時代というのは、『東京府本郷区向丘弥生』で土器が発見されたからつけられた名前であり、土器に縄目があったからつけられた『縄文時代』とは違った角度からつけられているので、個人的には『稲作時代』とか、もっと分かりやすい名前にした方がいいと考える。

 

稲作の開始と身分差

人間を統率するためには『人間以上の存在』が必要だった!

 

さて、このあたりから他の記事にも書いた『世界的な歴史の相場』とも考えが一致してくるようになる。冒頭の縄文時代の記事にも書いたが、世界的な歴史の相場というのはこういう流れである。

 

STEP.1
人間の集団生活の規模が大きくなる
STEP.2
農耕と定着生活が始まる
STEP.3
氏族団体が部族団体に拡大
STEP.4
部族が連合して部族連盟が形成
STEP.5
部族連盟の規模が大きくなって古代国家が作られる
STEP.6
人間の集団生活に新しい秩序が必要になる

 

つまり、狩猟採集→農耕生活が始まるようになり、徐々に人間が手段生活を始めるようになり、そこで『ルール』などの、今までなかったものも導入されるようになるわけだ。

 

  • 一夫多妻
  • 殺人
  • 他人を傷つける
  • 盗む
  • 嘘をつく

 

こういった行為がタブーとされるようになり、ルールというルールが人間社会に登場するようになった。しかし問題なのは、このルールを『誰が』人間たちに植え付けるかだ。やはりテストステロンの影響もあるだろうし、権力同士が争いあって、意見を聞かない人間も現れる。統率が取れないのだ。

 

俺がリーダーだ!俺に指示するな!
馬鹿な。俺こそがリーダーだ!

 

そこで登場するのが『神』である。そう。いよいよここで、人間社会に『神』という『人間の上にあるもの』が登場するのである。

 

稲妻、洪水、地震。あまりにも力強いあの正体を知らないとき、人はそこに『何を見た』かわかるだろうか?

ついに各民族のルーツに『神』が存在する理由がわかった!

 

上記の記事では世界的な歴史の相場で、この世界にいかにして『神話、宗教』が生まれたのかを考えたわけである。だが、こと日本というのは独特の文化が根付いたエリアである。まずはWikipediaの『世界宗教』の分布図を確認したい。

 

世界宗教

 

大雑把に説明すると、

 

  • 紫=キリスト教
  • 緑=イスラム教
  • 橙=ヒンズー教
  • 黄=仏教
  • 青=ユダヤ教
  • 灰=無宗教
  • 桃=神道

 

ということになる。つまり、桃色(ピンク)の『神道』は、日本だけなのだ。この時点で世界の歴史の相場とは少し流れが違うことがわかるわけである。それに、世界の歴史の相場では『狩猟採集→農耕社会』の時に集団生活が始まり、そこでルールや宗教が作られたわけだが、日本においてはまず『縄文文化』という時代がかなり前から存在していて、世界四大文明などの古代文明に匹敵する高度な古代文明社会として位置づけようとする論があるのである。

 

つまり、集団生活はすでに縄文時代(新石器時代。約1万6000年前~)始まっていたことになり、相場よりも1万年も前にルールや独特の宗教が存在していた可能性がある。相場は紀元前5000年頃だ。この時期に農耕生活が始まり、『獲得経済』から『生産経済』に入るわけだが、日本の縄文文化では、すでにクリやクルミなどを『栽培』などをしていた可能性があるわけで、歴史の相場とは違う様相が見て取れるのである。

 

 

獲得経済 狩猟・採集
生産経済 農耕・牧畜

 

だが、とにかくうこうして日本も『弥生時代』に入った。この時代にあった精神的な話はいずれ追加するとして、大きな流れについて見てみよう。やはり、こうした稲作、つまり農耕生活の発展によって生産物の貯蔵が可能になり、『富の蓄積』が起き、そこに貧富の差や身分差が発生するようになる。

 

それは下記の記事に書いた流れと同じだ。当時やはり重視されたのは、

 

  1. 広い土地を持つ
  2. 多くの労働力を持つ

 

ということだった。ここでいう『労働力』とはまさに『子供』のことだった。

 

STEP.1
結婚や性生活の秩序がない
STEP.2
生まれてくるこの父親が誰かはっきりしない
STEP.3
しかし子を産む母親にはそれがわかった
STEP.4
狩猟採集社会では母親が中心となる母系社会となった
STEP.5
農耕が始まり力のある男が重要な立場に立つようになる
STEP.6
男に権力が備わり徐々に父系社会に変わる

 

このようにして母系社会が父系社会に変わることで、労働力がある人間が強くなり、先ほど書いたような流れ、つまり『国家を作る』ような動きが見られるようになってくるのである。そして、その労働力の一つである『子供』を増やすことも重視された。こうした背景も手伝って、人類は農耕と定借生活に入ると、人口が増えていくのである。

 

そして人は満足から『贅沢』を求めるようになり、自己実現という名の様々な欲求を満たす過程で、人に格差がつくようになるのである。『エリア別だから流れがつながる 世界史』にはこうある。

力をもつものがほかの人間を使役し、階級の差が生まれ、王や神官、貴族による君主国家が全世界で始まろうとしていた。

 

人々に格差が生まれるようになった起因をひも解くと、人々が満足から『贅沢』に目を向けるようになった事実にたどり着くようになる。

 

生きるために『水』が必要だった。だが、『満足』した人々は『贅沢』を求めた。

 

ここで一度、この弥生時代の様子がわかるいくつかのキーワードを並べてみよう。

 

弥生時代のキーワード

弥生人の起源 大陸の北部が起源で寒冷地に強い新モンゴロイド
日本初の原始的な国家 クニ
当時の日本の呼称 倭(わ)
わかっている最古の日本人の名前 師升(すいしょう)
使っていた土器 弥生土器
新現象 貧富、身分の差が発生

 

弥生人の起源

まず弥生人というのはその前に生活していた縄文人とは人種的にも系統が異なるとされている。つまり、縄文人の子孫が弥生人なのではないということだ。しかしこれは何を弥生人とするかによっても回答が異なる。

 

弥生人

狭義には弥生時代に中国大陸から日本列島に渡来してきた人々を指す。広義には、稲作などの弥生文化を受け入れた旧縄文人を含む、弥生時代の日本列島の人々全体を指す。

 

 

2017年9月9日に放送された、フジテレビ『FNS27時間テレビにほんのれきし【たけし&村上が27時間で4万年の旅へ】 』では、まさにこのテーマについて特集されていた。

 

番組では、弥生顔のルーツが何故シベリアなのか解説する。祖先のホモサピエンスは10万年前アフリカにいました。6万年前からアジアの方に出ていき、だんだん北上していく。そういう人達が日本列島に北、西、南から入ってきて縄文人に進化する。

 

4万年前のその頃、日本を含む東アジア全域には濃い顔の人類が暮らしていた。3万年前に濃い顔の一部がシベリアに進出し薄い顔が生まれたのだ。シベリアはとても寒い地域。どんなに防寒具をそろえても、顔だけはどうにもならない。そこで、平面的な顔への変貌が始まるわけだ。寒い空気に触れる面積を小さくしなければならない。そして生まれたのが平べったい『薄い顔』なのである。

 


参考
FNS27時間テレビ|にほんのれきし【たけし&村上が27時間で4万年の旅へ】|2017/09/09(土)18:30放送|フジテレビTVでた蔵

 

つまり、最初は皆『縄文人』だった。そして生活する地域と環境が人の顔つきを変えていき、濃い顔、薄い顔という差異ができるようになったのである。つまり、その『シベリアに進出した、寒い地域でも生活することができる平べったい顔の『弥生人』』が、この弥生時代に文明を作っていた。広義では、その中には縄文時代からの縄文人もいたが、通常はこのように、弥生時代の主役は弥生人と考えるようである。

 

次の記事で『卑弥呼』等の弥生時代にあった特徴をまとめてみよう。その次は『古墳時代』だ。

 

縄文顔と弥生顔の特徴

いわゆる南方系縄文顔VS北方系弥生顔
南方系縄文顔 北方系弥生顔
顔形 四角/長方形 丸/楕円
造作の線構成 直線 曲線
プロフィル 凹凸 なめらか
彫りの深さ 立体的 平坦
太い/濃い/直線 細い/薄い/半円
濃い/多い 薄い/少ない
二重 一重
頬骨 小さい 大きい
耳たぶ 大きい/福耳 小さい/貧乏耳
耳垢 湿る/猫耳 乾く/粉耳
鼻骨 広い/高い 狭い/低い
厚い 薄い
小さい 大きい
口元 引き締る 出っぱり気味


参考
縄文顔と弥生顔縄文顔と弥生顔

 

 

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