『ヒト』を最適化しよう。

1922年から1991年まで存在した国『ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)』はどうやって誕生した?

ハニワくん

先生、質問があるんですけど。
では皆さんにもわかりやすいように、Q&A形式でやりとりしましょう。

先生

いくつか質問があるんだけど、わかりやすく簡潔に教えて!

  1. 社会主義って何?
  2. 共産主義って何?
  3. 資本主義って何?
  4. ソ連はどうやって生まれたの?

1.利益は均等に配分され、消費も個人に任される考え方です。

2.利益は均等に配分され、消費も平等であるべきだと規制される考え方です。

3.競争に勝てば多くの富を得ますが、貧富の差は拡大する国考え方です。

4.レーニンが臨時政府を倒し『ソヴィエト政権』を成立させ、反乱等を乗り越え誕生しました。

ハニワくん

なるへそ!
も、もっと詳しく教えてくだされ!

博士

19世紀末のロシアには『社会主義思想』が広まっていました。

工業化が進展し、都市労働者が増え、生産手段の国有化によって経済上の平等を求める『社会主義思想』が広まっていったのです。厳密に言うと『社会主義、共産主義』は違いますが、とにかく『資本主義』のような格差が広がる社会は避けたい。そういう考えを持った人々が増えたのです。そして帝政が崩壊した後のロシアは以下の2つの二重権力状態になりました。

 

 

臨時政府 ブルジョワの利害を代表
ソヴィエト 兵士や労働者の利害を代表

 

レーニンが率いたソヴィエトは、首相ケレンスキー率いる臨時政府を倒し、『ソヴィエト政権』が成立。そして、史上初の社会主義革命が達成されました。ただ、社会主義社会になると貧富の差がなくなり、人の間に格差がなくなるのはいいですが、努力しても、怠けても、何をしても評価や財産が平等になるということは、必ずしもメリットだけではありません。

 

さぼっても財産は平等に分けられるからさぼろーっと!
努力しても歩合制じゃないから、努力した分だけ損だ!手をぬこーっと!

 

このような人間が出てくることになれば、それは社会全体の活力が失われることを意味します。国力の弱体化や、『フランス革命』のような国家の転覆を懸念した欧米列強や日本は『干渉戦争』としてソ連の邪魔をします。しかし何とかこれを乗り越え、1922年

 

  1. ロシア
  2. ウクライナ
  3. ベラルーシ
  4. カフカス

 

地域による『ソヴィエト社会主義強化国連邦』、いわゆる『ソ連』が成立したのです。

うーむ!やはりそうじゃったか!

博士

ハニワくん

僕は最初の説明でわかったけどね!
更に詳しく知りたい方は、以下の記事をご覧ください。

先生

自治組織『ソヴィエト』結成

『ソ連誕生』

『三国同盟』に『三国協商』。次々と列強が同盟を組む!でも、そんなに大きな力同士が衝突したら…

 

上記の記事の続きだ。『第一次世界大戦』の後の世界のヨーロッパの説明の前に、ロシアで起こっていた出来事について見ておく必要がある。1905年、ロシアは日本と『日露戦争』を起こしていた。だがそのときロシアは、『第一次ロシア革命』、つまり国内での内乱によって、体力を消耗していた。つまり、『戦争どころではなかった』のだ。

 

血の日曜日事件と『第一次ロシア革命』

『第一次ロシア革命』の原因となったのが、『血の日曜日事件』だった。当時のロシア皇帝ニコライ2世(在位1894年11月1日 – 1917年3月15日)は日露戦争で起こった国内のデモ活動を抑えるのに必死だった。そして1905年1月9日、事件は起こった。ニコライ2世がデモの民衆に対し、一斉銃撃を命じたのだ。この事件で2000人もの死者が出て、ロシアは一時騒然となった。

 

[軍隊による襲撃を描いた絵画]

 

更に、それで騒動が収まると思いきや、逆効果。むしろこの事件を境に暴動や反乱が頻発するようになり、国を信用できないと考えた労働者や農民たちが『ソヴィエト』という自治組織を各地で結成し、政府によらない独自の政治を目指すようになる。日露戦争の背景にはこうした事実も存在していたのだ。

 

ニコライ2世は皇太子時代に日本で暗殺されかけ、30代で日露戦争、その後に第一次世界大戦、二月革命、十月革命と、波乱万丈な人生を送り、最後は革命派に家族ともども銃殺されてしまった。そして彼は『ロシア最後の皇帝』となったのである。ロシアはその後『ソビエト連邦(1922年 – 1991年)』へと移り変わっていくことになる。

 

 

ロシアの歴史

大人しかったロシアが『大帝国ロシア』に向かって動き出す!イヴァンとピョートルの大革命

 

ロシアの歴史を少しまとめてみよう。上記の記事に書いたように、1613年、リューリク王朝が終わり、ロマノフ朝に入る。ロマノフ朝の創始者ミハイル・ロマノフによってロシアは新たな局面を迎えることになる。ロマノフ朝はロシア正教会の影響が強く、他の国が経験したような宗教戦争による内乱とは無縁だった。そのため、皇帝が政治的にも宗教的にも強力な権威を持ち、『ツァーリズム(専制政治)』が成り立ち、統治は安定していた。

 

ピョートル1世

そのロマノフ朝の5代目皇帝ピョートル1世(在位:1721年 – 1725年)は皇帝の中でも最も有名だった。

 

[全ロシアのツァーリ(皇帝)ピョートル1世]

 

『大帝』と言われた彼は、しかし、ロシアがカトリック・プロテスタント世界に比べて劣っていると自覚していた。そこで西欧への大規模な使節団を派遣し、新首都サンクトペテルブルクを建設したりして、西洋化と近代化を図った。しかしそれから200年経ったロシアは、やはりほかの欧米列強に比べて色々と遅れを取っていた。工業化が遅れ、政治的、経済的にも立ち遅れていた。

 

 

乖離あるエリア

このように、『内乱は起きないが、世界からの遅れをとる』というのがロシアの傾向だ。しかしそれは別にロシアだけじゃなく、世界のその他の国々に目を向けても同じことだった。例えばアメリカ大陸にあった『マヤ文明』だ。16世紀頃、スペインは征服者(コンキスタドール)をアメリカに送り込み、次々とペルー、メキシコ一帯は征服され、スペインの植民地となっていった。

 

他国からの侵略に打ち勝った国と、そうじゃない国があった。当時のアメリカ大陸は『準備が整っていなかった』とも言えるが、銃器を持った装備の厚い兵士たちの前では、成すすべがなかったのである。

 

アメリカ大陸の二大文明は『メソアメリカ文明(マヤ・アステカ等)』と『アンデス文明(インカ等)』

 

また、『ASEAN』はどうだ。ベトナム戦争が起きたことで、東南アジアの5か国は結束を強め、1967年、各国は『バンコク宣言』を行い、これが『ASEAN(東南アジア諸国連合)』の始まりとなった。

 

結成時の加盟国

  1. タイ
  2. インドネシア
  3. フィリピン
  4. マレーシア
  5. シンガポール

 

この5か国が率先してまず結束を固め、社会・経済面での相互協力を行い、反共産主義を掲げた。そしてベトナム戦争終結後の1970年代後半には、規模を拡大。現在は東南アジア諸国10か国がASEANに加盟していて、EU連合やNAFTA(北米自由貿易協定)よりも多い人口をとなっている(約6億人)。

 

現在の加盟国

  1. タイ
  2. インドネシア
  3. フィリピン
  4. マレーシア
  5. シンガポール
  6. ブルネイ
  7. ベトナム
  8. ミャンマー
  9. ラオス
  10. カンボジア

 

東南アジアで命を燃やした歴史に残る偉人たちと、唯一独立を守り続けた奇跡の国~ASEAN誕生~

 

これらの国々や文明は、欧米列強と比べれば遅れを取っていた。しかし、彼らは彼らで生きていて、それで成り立っていた。彼らと欧米列強との違いは、外へ向ける意識があるかないかだ。日本も海に囲まれた島国だが、環境によって、『国境を渡れば違う国』という場所と、そうじゃない場所がある。

 

  • 砂漠
  • 山奥
  • 島国
  • 僻地

 

こうした地域にあると『ガラパゴス化』し、外国との交流がないから独自の文化が生まれ、同時に率先して世界で切磋琢磨する列強たちとの間に乖離(距離)が開いてしまうわけだ。ロシアはナポレオンと戦った時、地の利を生かした『焦土作戦』によって、戦死と凍傷で61万もいたナポレオン軍の兵士を5千人に激減させることに成功したが、ロシアという国にもそういう特徴があったのだろう。

 

[アドルフ・ノーザン『ナポレオンのモスクワからの退却』]

 

王を失ったフランスで『ナポレオン・ボナパルト』のエネルギーが大爆発!イギリスの代わりに世界を獲るか?

 

テレビ番組で観た情報だが、ロシアの家庭にマヨネーズがあるのは当たり前で、それをかける量も日本のそれとはけた違い。寒いからウォッカを飲んで体を温め、脂肪をつけて環境に適応する。そのため、ロシアで理想の男の姿と言えば、日本の『ジャニーズ体系』、アメリカの『マッチョ体系』とは違って、『筋肉の上に少し脂肪が乗った人』だという。まさに、『皇帝ヒョードル』が理想なのだ。

 

 

 

 

社会主義思想

さて、そんなロシアも19世紀末からは工業化が進展し、都市労働者が増え、生産手段の国有化によって経済上の平等を求める『社会主義思想』が広まっていった。

 

二月革命

第一次世界大戦が続く1917年3月、首都ペトログラードで主婦を含む反戦デモが起こる。この隊列に兵士らも加わって、事態は革命にまで発展する。『二月革命』である。ここでニコライ2世はここで退位するのである。

 

[ロシア二月革命]

 

二重権力状態

こうして帝政は崩壊し、ロシアは以下の2つの二重権力状態になった。臨時政府は儲けるために戦争を続行させようとしたからだ。彼らの構成員には工場を持つような資本家が多く、武器弾薬や物資を大量に消費する戦争は儲かった。

 

臨時政府 ブルジョワの利害を代表
ソヴィエト 兵士や労働者の利害を代表

 

このソヴィエトというのは、メンシェヴィキという団体のトロツキーが中心となってできた議会であり、それと同じように、ポリシェヴィキという政党もあった。それを率いていたのがウラジーミル・レーニンだった。トロツキーは二月革命を機にポリシェヴィキに移り、レーニンを助けることになる。

 

社会主義者だったレーニンは、ソヴィエトの考え方に共鳴し、

『全権力をソヴィエトに!』

 

と言って、『四月テーゼ』を起こした。それは、二月革命の2か月後、1917年4月に起きたことだった。二月革命で成立した臨時政府を支持せず、労働者代表ソヴィエトへの全国家権力の移行を宣伝することや、ソヴィエトの主流派が主張する「革命的祖国防衛主義」にいっさい譲歩しないことを主張したのである。

 

代表者 政党・自治政府
トロツキー メンシェヴィキ
レーニン ポリシェヴィキ
フルスタリョーフ・ノサーリ ソヴィエト

 

 

十月革命

最初、気が狂ったとまで疑われたレーニンだったが、13対2で否決されたテーゼも、3週間後には賛否が逆転し、ポリシェヴィキの正式な革命戦略・戦術として採択される。そしてユリウス暦の1917年10月25日(現在のグレゴリオ暦の11月7日)、『十月革命』が起きる。ポリシェヴィキが武装蜂起を行い、首相ケレンスキー率いる臨時政府を倒したのだ。

 

[『ボリシェヴィキ』 ボリス・クストーディエフ(1920年)]

 

これによって『ソヴィエト政権』が成立。そして、史上初の社会主義革命が達成されたのであった。その翌年レーニンはドイツを和平を結ぶ。『ブレスト=リトスフク条約』を同盟国と結び、第一次世界大戦から降りる形で離脱する。レーニン率いるポリシェヴィキは『共産党』に改称し、首都をペトログラードからモスクワに移した。その後、ソヴィエト(自治政府)は国家を動かし、『社会主義政策』を進めるのである。この時期のロシアのキーマンは、

 

  1. トロツキー
  2. レーニン
  3. スターリン

 

の3人である。

 

マルクスの思想を受け継いだのは誰だ!?『レーニン、スターリン、トロツキー』そしてプルードンという男の存在

 

 

社会主義国家のデメリット

社会主義 利益は均等に配分され、消費も個人に任される
共産主義 利益は均等に配分され、消費も平等であるべきだと規制される
資本主義 競争に勝てば多くの富を得るが、貧富の差は拡大する

 

史上初の社会主義革命が達成されたのはいいが、社会主義国家というのは問題も多く抱えている。イギリスのロバート・オーウェン、フランスのサン・シモン、フーリエらもかつては社会主義国家を目指したが、実現しなかった。社会主義社会になると貧富の差がなくなり、人の間に格差がなくなるのはいいが、努力しても、怠けても、何をしても評価や財産が平等になるということは、必ずしもメリットだけではない。

 

さぼっても財産は平等に分けられるからさぼろーっと!
努力しても歩合制じゃないから、努力した分だけ損だ!手をぬこーっと!

 

このような人間が出てくることになれば、それは社会全体の活力が失われることを意味する。ロシアは1700年代のピョートル1世から欧米列強に後れを取ってきた自覚があったというのに、このままではまた同じように、国力発展の停滞につながってしまう。しかし、革命が達成された浮足立っていたソヴィエトは、そのようにして『悲観視する余裕』を持っていなかった。

 

得意時代に、失意時代の事を想像できる人間は強い。現代の日本の経営の神、稲盛和夫は言う。

『楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する。』

 

悲観的に計画することができる人間こそが、真の大人を主張する資格があるのだ。しかし、ソヴィエト政権にはそれを考える余裕はなかった。それは精神的な意味だけじゃなく、実際の余裕もなかったのだ。『干渉戦争』である。

 

 

干渉戦争

かつて革命を起こし、王を引きずり下ろし、『共和政』の国を作った『フランス革命(1789年)』あたりの時代には、

 

革命を起こせば国を変えられるぞ!

 

という気配が漂っていた。

 

踊る要人と、憤る民衆。ナポレオンが引っ掻き回した世界の後始末『ウィーン会議』とその体制の崩壊

 

ソヴィエト政権の成立が、それと同じような現象の引き金になってはならない

 

そう考えた欧米列強や日本は、この革命を潰す干渉戦争を起こす。例えば『シベリア出兵』は、1918年から1922年までの間に、連合国(大日本帝国・イギリス帝国・アメリカ合衆国・フランス・イタリアなど)が「革命軍によって囚われたチェコ軍団を救出する」という大義名分でシベリアに出兵した、ロシア革命に対する干渉戦争の一つである。

 

[1918年、ウラジオストクでパレードを行う各国の干渉軍]

 

 

ロシア革命を進めた『赤軍』、反革命軍『白軍』

更には国内での内乱も途絶えたわけではなかった。ソヴィエト政権らロシア革命を進めた人々は『赤軍』と呼ばれ、それに対してロシア各地で生まれた反革命軍は『白軍』と呼ばれた。コルチャークという海軍軍人は、その白軍リーダーとして反革命政府を樹立し、一時は30万人以上の兵力を作り上げ、『ロシアの最高統治者』を自称するほどの勢力を持ったが、1919年3月の干渉戦争後に赤軍に敗れ、銃殺されてしまった。

 

 

『ソヴィエト社会主義強化国連邦(ソ連)』成立

しかし、やはりこれらの戦争よってソヴィエト政権は大ダメージを食らい、場を乗り切るために農村から強制収奪が行われて多数の餓死者も出した。しかし何とかこれを乗り越え、1922年

 

  1. ロシア
  2. ウクライナ
  3. ベラルーシ
  4. カフカス

 

地域による『ソヴィエト社会主義強化国連邦』、いわゆる『ソ連』が成立するのである。そしてレーニン亡きあとはトロツキーとスターリンがその座を争い、トロツキーが何者かによって暗殺され、スターリンがソ連を引き継いだ。

 

 

 

レーニン

政治意識とは搾取への憤怒と憎悪の意識を超えるものだ。政治意識は過激で急進的な行動の能力を要求する。行動せよ!

 

この時代のロシアの思想については、先ほどのリンクを見るといいだろう。

 

 

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