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高度経済成長を見せた中国が夢見る『一帯一路』とは何か?中国の野望と他国との軋轢

ハニワくん

先生、質問があるんですけど。
では皆さんにもわかりやすいように、Q&A形式でやりとりしましょう。

先生

中国がしようとしている一帯一路(いったいいちろ)って何?わかりやすく簡潔に教えて!

現代版のシルクロード構想です。中国は海洋国家として世界の海洋を自由に利用できる体制づくりを狙っています。

ハニワくん

なるへそ!
も、もっと詳しく教えてくだされ!

博士

かつて中国は西に『ローマ帝国』、東に『後漢王朝』があると言われるほど栄えていました。

更に『唐』の時代には交易路である『シルクロード』を使って、唐とアッバース朝を中心に世界が栄えました。しかし、それが19世紀になって西洋列強の進出によって、他国との交易によって利益を上げることができなくなってしまったのです。更に清の時代には幾多もの戦争に負け、陽の目を見ませんでした。

 

ですが、中国は『第二次世界大戦(日中戦争)』に勝ち、人口の増大と経済強化、更に海軍を増強し国力をつけました。今、中国はかつての大国中国を目指して、再び海洋進出を狙うようになったのです。『一帯一路』とは、2014年11月10日に中華人民共和国北京市で開催されたアジア太平洋経済協力首脳会議で習近平総書記が提唱した、こうした経済圏構想です。

うーむ!やはりそうじゃったか!

博士

ハニワくん

僕は最初の説明でわかったけどね!
更に詳しく知りたい方は、以下の記事をご覧ください。

先生

経済大国中国

プロレタリア文化大革命・天安門事件→経済大国中国

『プロレタリア文化大革命』後、『天安門事件』で世界を驚かせたタンク・マン(戦車男)とは

 

上記の記事の続きだ。毛沢東が『プロレタリア文化大革命』を起こし、鄧小平の時代に『天安門事件』が起きた。以来、『経済は自由だが、政治は一党独裁を続行』というスタンスを維持したまま、胡耀邦政権、習近平(しゅうきんぺい)政権に受け継がれているわけだ。

 

日本は戦争に負けたが、1960年に高度経済成長期を迎え、1968年には国民総生産(GDP)で、世界二位に躍り出る『東洋の奇跡』を起こしてみせた。だが、2011年1月20日、日本が42年間にわたり保ってきた世界2位の経済大国の地位を中国に譲ることが決定的となった。中国国家統計局は同日、10年の国内総生産(GDP)が実質で前年比10.3%増えたと発表し、GDPで中国が日本を抜いて2位になったのである。

 

ちなみに2018年のGDPはこうなっている。

 

順位 名称 単位: 10億USドル 前年比 地域 推移
  合計 84,633.15
1位   アメリカ 20,494.05 北米 アメリカの推移
2位   中国 13,407.40 アジア 中国の推移
3位   日本 4,971.93 アジア 日本の推移
4位   ドイツ 4,000.39 ヨーロッパ ドイツの推移
5位   イギリス 2,828.64 +1 ヨーロッパ イギリスの推移
6位   フランス 2,775.25 +1 ヨーロッパ フランスの推移
7位   インド 2,716.75 -2 アジア インドの推移
8位   イタリア 2,072.20 +1 ヨーロッパ イタリアの推移
9位   ブラジル 1,868.18 -1 中南米 ブラジルの推移
10位   カナダ 1,711.39 北米 カナダの推移


参考
世界の名目GDP(USドル)ランキング世界経済のネタ帳

 

アメリカと中国は桁が違うのがわかる。だが、日本は中国の10分の1の人口で、よく頑張っている。戦争に勝ち、様々な面で有利に立ったアメリカや、10倍の人口を持つ大国である中国に食らいついているのだから、まだまだ捨てたものではない。

 

GNHとは

もちろん、GDPが国の幸せを図る数値なわけではない。GNHとは、国民総幸福量(こくみんそうこうふくりょう)または国民総幸福感(こくみんそうこうふくかん)のことであり、「国民全体の幸福度」を示す尺度である。1972年にブータン王国の国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクの提唱で、ブータン王国で初めて調査され、以後、国の政策に活用されている。ブータンでは、国民一人当たりの幸福を最大化することによって社会全体の幸福を最大化することを目指すべきだとする考えから誕生したものである。

 

 

様々な考え方と尺度がある。だからGDPと国民の幸福量の因果関係はないが、しかし『相関関係』はあるのは確かだ。例えば、貧乏な家で生まれた子供が、街でおいしそうな食べ物を見たとき、お金がなくて食べられない。しかし、偶然それを食べることができれば、その子供に生まれるのは幸せな感情である。すると、そこには『お金があったからこの幸福を味わえた』という事実が存在する。

 

因果関係

必ず関係している。

相関関係

何らかの形で関係している。

 

 

鄧小平の行動

さて、鄧小平がやったのは経済改革人権抑圧の二面的な政治だった。中国が経済大国に成り上がった背景にいたのは、この鄧小平だったわけである。では、具体的にはどうやって経済大国に成りあがったか。それはもちろん、下記の記事に書いたようなことも関係しているだろう。

 

あの時、戦後の日本が『高度経済成長ができた真の理由』とは?

 

だが、大きなポイントとしては、経済が自由になったからだ。政治は自由ではないが、経済は自由になった。そもそも『天安門事件』も、『経済的に自由化したのだから、政治的にも自由化させてほしい』という要求から起こった事件だった。

 

 

検閲問題と自由化できない政治

もちろんその中で、その『天安門事件』に対する検閲問題や、自由とは言えない中国の闇もある。『グーグル ネット覇者の真実 追われる立場から追う立場へ』にはこうある。

ラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンは、初めからGoogleを世界企業に育て上げたいと考えていた。(中略)国が違えば、直面する問題も違う。インドでは、Googleが運営するソーシャルネットワーキング・サービス(SNS)『オーカット』のユーザーが政治家の悪口を言うと、処罰と検閲を要求された。タイでは、国王を侮辱する言論が許されない。ドイツでは、ホロコースト(ナチスのユダヤ人大虐殺)を否定すすることが法律で禁じられている。検索結果を検閲して不適切なものを削除するよう政府から求められると、おおむねGoogleはそれに抵抗してきた。そうやって、ずっと戦ってきたのだ。しかし、中国はまるで違った。

 

(中略)一方で中国政府は、政治的な反対意見を抹殺し続けている。政府のプロバガンダに反するメッセージを含んだウェブサイトやオンラインサービスに国内からアクセスできないようにしていることは、その顕著な例だ(たとえば、1989年の天安門広場の殺戮行為に触れたウェブページへのアクセスを丹念に遮断している。また、中国のインターネットユーザーが法輪功に関する情報を検索すると、なぜかインターネットに数時間つながらなくなる)。

 

 

(中略)『売り上げのことは忘れてほしい。ビジネスのことはまったく考えなくていい。『中国に好ましい変化を促し、言論の自由を拡大するうえで、私たちが中国に進出するのがいいのか、それとも進出しない方がいいのか』という点について最良の分析を示してほしい。大事なのはその点だ。』

 

(中略)しかしすでに、多くの中国人ユーザーはGoogleを相手にしなくなっていた。歓迎されざるよそ者企業で、サービスの安定性を欠くというイメージを抱いていたからだ。(中略)どの検索エンジンを使っているかと尋ねると、『ブラジル・サッカー』という言葉がプリントされたTシャツを着た女性は、なぜそんなことを聞くのかとばかりに驚いた顔をした。『百度(バオドゥ)』です。

 

どうして?『中国人がつくった検索エンジンだからです。中国人のことは、Googleより中国企業の方が当然よくわかっています』。学歴が高い人や英語が得意な人がGoogleを選ぶかもしれないが、『ほとんどの中国人は、英語なんてわからない。Googleなんて絶対に使いません。』と、この女性はきっぱり言った。『Googleはもっと中国人に寄り添わないといけない』というのは、ある若い男性の言葉だ。Googleは好きだが、頻繁にサービスが停止するのであまり使わないと言った若い女性もいた。どうしてサービスが止まるのか知っていますかと尋ねると、こういう答えが返ってきた。『海底ケーブルが故障するからでしょ』。

 

 

中国が本当に自由な国になったわけではない。ただし、この件もよく考えるとあくまでも『経済は自由、政治は自由ではない』ということであり、やはり、全体的にみると経済の活性化を促すような方向に進んできたのである。

 

中国史上唯一の女帝『則天武后』と、世界三大美女『楊貴妃』がいた『唐』の盛衰

 

 

唐の時代のシルクロード

上記の記事に書いた『唐』の時代の中国を見てみよう。

 

アッバース朝は、766年も新都バグダッドで繁栄を誇った。『タラス河畔の戦い』の後、ここを中継地に東西の交易や文化の交流が盛んになる。その交易路として活路を呈したのが『シルクロード』である。このシルクロードを使って、商品は『唐』から生糸や陶器、茶などを西方に運び、西からは金銀などの貴金属や毛織物を運び、利益を上げた。

東の唐王朝、西のアッバース朝を結んだ東西交易路

  1. 草原の道
  2. オアシスの道(シルクロード)
  3. 海の道

これによって唐とアッバース朝だけではなく、世界中の国々の貿易が盛んになった。

 

 

かつて中国は、他国と接触し、貿易を続けてきた。しかし、それが19世紀になって西洋列強の進出によって、他国との交易によって利益を上げることができなくなってしまったのだ。更に、『日清戦争』で敗北した中国は、艦隊を壊滅させられる。これらの歴史を考えたとき、戦争が終わって平和になった後、もし自分が中国人だったら、

 

あの頃の中国に戻ろう

 

と考えるのではないだろうか。そう。中国は戦後、海軍を増強し、再び海洋進出を狙うようになったのである。

 

一帯一路(いったいいちろ)

習近平は、『一帯一路(いったいいちろ)』という、現代版のシルクロードを構想し、中国が海洋国家として世界の海洋を自由に利用できる体制づくりを狙っている。しかし、中国にとって、

 

  • 日本列島
  • 沖縄
  • 台湾
  • フィリピン
  • ベトナム
  • アメリカ軍基地

 

といった存在は、その目的を達成させるための障害となる。中国が、

 

  1. 尖閣諸島(日本)
  2. 南沙諸島(フィリピン)

 

に固執する背景にはそういった問題があるからなのである。

 

[尖閣諸島位置図 (青:魚釣島、黄:久場島、赤:大正島)]


参考
尖閣諸島wikipedia

 

また日本は、

 

  1. 尖閣諸島
  2. 竹島
  3. 北方領土

 

と、様々な場所をめぐって近隣諸国と対立しているが、そこを国の領土とすると、その近辺の海域が『排他的経済水域』となり、『自国の領土』となる。すると、その海域や、海底に存在する『資源(エネルギー源)』は、その国の所有物となる。これらの島の付近にある資源は、

 

  • レアアース
  • レアメタル
  • メタンハイドレート
  • 石油
  • 豊富な海産物

 

だという話もあり、単に『エネルギー源の奪い合い』という見方もある。とにかく、今後の中国の動向にも注目だ。近い将来、世界の人口は、2025年に約81億人、2050年に約96億人、2100年には約109億人に達するとの予測がされているが、そのうちのほとんどは中国人とインド人である。今まで通り、中国が世界史に与える影響は大きなものになるだろう。

 

 

さて、これで中国の歴史は終わりだ。また更に歴史が刻まれたら追記していこう。

 

 

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参考文献