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コウシロウ『…たとえ何者になろうと…君の剣道を大切にしていればそれでいいです…』

私が『ワンピース』が、奥深くて、好きだと思うところの一つは、『世間の評価と実際の価値にズレがある』という部分である。例えば、チョッパーの懸賞金は50ベリーだが、それは勝手に世間が、チョッパーを”ペット”だと”勘違い”しているからである。また、ゾロも懸賞金は1億2千万ベリーだが、実際の実力はもっと高い。サンジなんて、顔すら違う…。もちろん、ルフィや、他の仲間も同じことだ。つまり、ただ世間が、元々彼らが持っているポテンシャルに気付くのが遅いだけで、『何かをした』という結果だけを見て後から評価していく、いや、せざるを得なくなっている。こういう状況が、私はとても好きである。

 

なぜかというと、とても”リアル”だからだ。私も彼らほどではないが、周りに真の理解者は少ない方である。私はもともと、”過信”ではなく”自信”でもって、物事をやり遂げる貫徹力があると、自負していた。しかし、周りにいた人間が、普段のあっけらかんとして漂々とした私の真意を読み取れず、『お前にはできない』という、レッテルを貼りだしたのだ。

 

(ちなみに彼らのことは専門用語で、『ドリーム・キラー(夢を壊す者)』と言われていて、家族だろうが、仲間だろうが、この『ドリーム・キラー』に囲まれている人は、苦労する。その逆の、『ドリーム・ヘルパー(夢を助ける者)』の代表に挙げられるのは、ご存じ”トーマス・エジソン”の母親である。彼女は、小学校をたったの3ヶ月で落ちこぼれたエジソンのために、自宅の地下に、実験室を作ってあげた。『思う存分やりなさい』その彼女のヘルプがなければ、天才エジソンは、この世にいなかったかもしれないのだ。)

 

だが、私が起業をしたとたん、どうだろう。私の周りの人間は、口をそろえて『社長!』、『すごいな!』、『やると思ったよ!』などと言うではないか。どちらにせよ、起業する前から私の事を正当に評価していた人間は皆無に等しく、ただただ”結果”に”反応”しただけだったのである。家族、友人も含めた世間の評価など、当てにしてはならない。我々が気にするべきなのは『家族』、『友人』、『世間』だとかいう表面的な理由ではない。なぜなら、彼らはもしかしたら、悪気があっても、なくても、『ドリーム・キラー』の可能性があるからだ。

 

『…たとえ何者になろうと…君の剣道を大切にしていればそれでいいです…』

 

友人の場合は往々にして”妬み”、”嫉み”が多いが、もし、自分の親が『ドリーム・キラー』に当てはまっても、恨んではならない。彼ら、彼女らはただ、愛する子供が、心配なのだ。だが、『育児』と『教育』が違うように、『躾け』と『虐待』が違うように、もし自分が親になったら、このことを覚えておいても、損はないだろう。また、場当たり的で刹那的な”友人”ではなく、真の実力を評価してくれる”盟友”を築けるかどうかも、実は、自分の実力の一つであることも、忘れてはならない。そういう有意義な人間関係を築けたら、もう半分、夢は達成したようなものだと、私は思うのである。

 

 

Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV

※画像は以下の参考文献から引用しています。

 

一言

この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。