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クロコダイル『…信頼…クハハ この世で最も不要な物だ』

私のごく近い人間関係にも、こういう人間の存在は一人じゃない。自分の部下や、後輩や、従業員や、子供や、生徒に対し、表面的には『お前らのことをいつも思っている』という風に見せかけ、実際の本音は自分や、自分の家族だけが良い思いをすることを念頭に置いている。そしてそれが『勝ち組の王道』だとでも思いあがっている様なふるまい。こういう人間のことを『偽善者』と言う。こういう人間が放つそれっぽい言葉を『綺麗事』と言う。

 

この2つの意味は、本当はそうは思っていないのに、自分の私利私欲の目的達成のために、対象者が喜びそうなことを言って見せることだ。もちろん私も、”ごく近い”人間関係で目の当たりにしたことだ。ショックは隠せない。だが、私が焦点を合わせているのはいつだって『真理・原則』である。『偽善者』ではなくて、『善人』にならなければならないのだ。

 

『善人』とは、頭の中で友人の妻や夫とSEXをしたいと思ってしまう人、戦争が起きている国に行って英雄の死を遂げることはできない人、途上国に行って彼ら全員の命を助けることができない人、不慮の事故や不治の病や不可避の天災で家族、子供を亡くしてしまった人、そういう人間もその対象なのだ。それらのことは人として自然な思考であり、人としての運命であり、倫理的に自分は…とか、 そんなに善人じゃない…とか、 私なんて…と言って、 悪人に成り下がってはならない。いつだって人は『悪人』、『偽善者』、『善人』になる選択肢を持っているのだ。

 

『善人』以外の選択肢を取れば、人間は破綻するようになっている。少なくとも私の今までの半生では、それ以外の選択肢を取っている人間が、輝いて見えたことはない。金は金でもメッキじゃ輝かないだろう。世間じゃ”金”でまかり通っても、プロの質屋や鑑定士、見る人が見れば所詮価値のない”メッキ”。純金の輝きには、遠く及ばない。

 

近かろうが遠かろうが関係ない。傲慢なガキ大将も、拝金な経営者も、利己主義な親も、偽りばかりの政治家も、老若男女、近い遠い、低い高い関係なく、『信頼』を軽んじた人間は、軽蔑する。そして、破綻するだろう。自分が撒いた、『誤魔化せる』と思っていた不備、不具合、不祥事のタネを、侮辱し、裏切り、見下し、踏みつぶしてきた憎悪の芽に、刺され、膨張は、弾けるだろう。

 

『…信頼…クハハ この世で最も不要な物だ』

 

私の周りで何人、信頼を軽んじて、偽り、欺き、奪い、裏切り、破滅していった人間がいるだろう。人の心を、侮ってはならない。見えないからといって、決して。

 

 

Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV

※画像は以下の参考文献から引用しています。

 

一言

この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。